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KOBEZINE

REPORT

2024.4.24

過去をリスペクトし未来につないだKOBE鉄人PROJECT岡田誠司さんの30年

Text_山﨑 謙 / Edit_伊藤 富雄(カフーツ) / Photo_相澤 誠(ADW Inc.)
©光プロ/KOBE鉄人PROJECT2024

1995年の阪神・淡路大震災で大きな被害を受けた神戸市長田区。

震災後、長田のシンボルとなったのは、新長田駅南の公園に堂々とそびえる鉄人28号モニュメントです。

しかしなぜここに鉄人28号モニュメントがあるのか、復興後の長田のまちがなぜ現在の形になったのかはあまり知られていません。

今回のKOBEZINEのゲストは、その鉄人28号モニュメントの建設の立役者で、KOBE鉄人PROJECTの推進役岡田誠司(おかだ・せいじ)さん。

まちの活性化活動に長年かかわってきた岡田さんに、長田のまちの過去といま、鉄人28号モニュメントができた経緯、そして、まちのあちこちにある三国志のキャラクターについてうかがいました。

岡田誠司(おかだ・せいじ)

1959年神戸市長田区生まれ。大学卒業後上京しM-BANDとしてメジャーデビュー。その後、広告代理店勤務の後、ライブハウスやインディーズのアーティストのプロデュースを行う。
2006年より「KOBE鉄人PROJECT」事務局長として、鉄人28号モニュメントの建設や鉄人広場でのイベント企画に携わる。

生活をいち早く再建させるには商店街を残すしかなかった

阪神・淡路大震災で壊滅的な被害を受けた長田区。新長田駅の南側には再開発でできた高層ビルがそびえています。

しかし、再開発ビルにもかかわらず、地上は両側に商店が軒を連ねる商店街スタイル。一見時代の流れに外れているようにも見える現在の長田のまちですが、これには深い理由がありました。

岡田さん「結局は、一日でも早い生活再建が求められたということですね。本来であれば国道から北側をすべて商業エリアにして、南側に公園を作って、住居を作るという再開発のほうがきれいなんですよ。

ちょうど流通や消費の形が変わろうとしていた時期でもありました。服はファストファッションのお店、靴は安売りのチェーン店、いまに至ってはネットですよね。商店街が生き残るためにどうすればいいかは置いといたとしても、まずは生活再建。

古くからあった店の場所を買い上げて再分配するのではなく、長年商売してきた場所をキープしたからこそ街の再建が早かったんですね。

そのおかげで計画が立ち上がってから固まるまで、震災からわずか数ヶ月くらいしかかかっていない、そこはすごいと思うんです。ほかの被災地とかも見て来ましたけど、じっくり考えちゃうとどうしても時間がかかる。

ただ、再開発事業の着手は早かったものの、その弊害としてその時点ですらしんどかったはずの『商店街』という商業形態がそのまま残ってしまった。しかも本来なかった地下までできてしまっているので、『これどうやって埋めるねん』と。

街全体がいろいろ叩かれますけど、僕が思うには決してネガティブなものではなくて、1日も早く再建させるには『商店街』という形で復活させるしかなかったというのが現実的な方法だったんだと思います。

となってくると、このまちだけでのマーケットでは経済が回らない。広範なエリアからも人が来る装置がないと、ということになって、その一部として鉄人28号のモニュメントがあるんです。」

震災復興には光もあれば影もある。被災後のまちづくりの難しさ、そして現実をあらためて実感するお話です。

©光プロ/KOBE鉄人PROJECT2024

鉄人28号になったのは横山光輝先生の故郷だったから

旧来の商業形態のままの新長田の駅前に、鉄人28号のモニュメントを作るという計画は、どういう経緯を辿ったのでしょうか。

岡田さん「このまちに本当に活気があったと言えるのは、僕が中学生くらいの1970年代くらいまでの話なんですよね。震災は最後のとどめとして来た感じです。

ビルが新しくなっても世間も流通も変わってしまってるじゃないですか。昔は洋品店で服を買ってたのが、いまの若い人は洋品店が何屋さんか分からないくらいの世の中になっている。結果ハードとしての建物はできたけど、にぎわいは戻らないんです。

それに対しての施策として広範囲から人を集める装置を作ろうと、神戸市と地元からの働きかけがあって、日本最大級の琉球物産店を作ったり、全国の伝統工芸を集めたギャラリーを作ってみたりしたんですけど、これらは正直、ほかの場所でもやれますし、どうしてもここに来てもらえる理由にはならない。

そんな中、当時、地域活性化の目玉として注目されていたのが、鳥取県境港市の『水木しげるロード』です。

『境”港”』とは言え、港としてのポテンシャルが落ちている中で、たまたま水木しげる先生が子供の頃に育ったまちということを推し出すようにしたところ、全国から人が集まるようになったんですね。

偶然それと時を同じくして、神戸新聞に『鉄人28号50周年記念』という特集が掲載されて、作者の横山光輝先生がこのあたり(=須磨区)の出身だということが知られるようになったんです。

その特集を見た地域の方が、『境港が水木先生なら、ここには横山先生がおるやんか』と。

当時、私はイベント企画や販促みたいなことをしていたこともあって、神戸市の担当者と一緒に『鉄人28号をはじめとした横山先生の作品の力でなにかできないでしょうか?』ということで横山先生のプロダクションにお願いをしに東京へ行きました。」

なるほど。そういう経緯で鉄人28号になったんですね。そのとき、横山先生はどういう反応だったのでしょう。

岡田さん「実は横山先生はもうすでに亡くなられていて、先生の作品の著作権を管理されているご親族にお話したところ、横山先生の故郷である神戸の震災復興のお役にたてるのであれば、とご快諾いただいて、話はトントン拍子に進みました。」

音楽業界での経験が役立つことに

ところで、なぜ岡田さんが横山先生のプロダクションと市との間に入ることになったのでしょうか。

岡田さん「幼いころ本当に漫画を描くのが好きで暇さえあれば一日中漫画を描いていたんですよ。その中でも特に「鉄人28号」はお気に入りで、毎日毎日何回も何回も描いていた覚えがあります。それを見た叔父が「そんなに鉄人好きやったら横山先生とこ弟子入りするか?」とか勝手に言ってました。というのも、叔父だけではなく母も横山先生の中学校の後輩で、先生はスター的な先輩だったんでしょうね。まあ、これは偶然という話でしかないですがね。

あと、私がもともと音楽関係の仕事をしていて、著作権に関する知識が多少あったということですね。
20代に、東京でバンドやってたときに所属していたプロダクションが『なめ猫』のキャラクターの会社だったので、キャラクタービジネスを横で見ていましたし、ライブハウスのオリジナルキャラクターを作ったりとかもしていたので、キャラというものがどういうものかが割と分かっていたというのもあると思います。

アニメの版権はとてもややこしくて、アニメのシリーズが変わるだけでも細かく変わることがあるんです。 神戸鉄人28号プロジェクトにおける鉄人28号モニュメントの著作権管理は、横山光輝先生のプロダクション『光プロダクション』とKOBE鉄人PROJECTが管理しています。ところが、仮に新しい映画を作るとなると光プロダクションさんと映画製作会社の管理になったりとか。 ですから、神戸鉄人プロジェクトが著作権に関係する物は、あくまでも「鉄人28号モニュメント」に限定されたもので、原作である「鉄人28号」自体には関与しないんです。」

なるほど。これは著作権に精通している岡田さんの存在が大きいですね。

岡田さん「著作権者サイドとちゃんと話ができるということですね。プロダクションさんから何か言われても『なんで?』と言うだけだったら話が続かないですからね。」

キャラクターもののグッズには必ず「©」のマークがついていて、権利者の名前が書かれていますが、それがものによって事細かに分かれていることを筆者ははじめて知りました。

上京して所属していたプロダクションがキャラクタービジネスに精通していたこと、その後の音楽関係のお仕事でキャラクターを扱っていたということが、この鉄人28号プロジェクトにおいて最大限に活かされています。

©光プロ/KOBE鉄人PROJECT2024

鉄人28号も三国志もポップカルチャーの源流

漫画の「鉄人28号」は1956年に連載がスタートしましたが、岡田さんはこれを「ポップカルチャーの源流だ」と言います。

岡田さん「プロジェクトを立ち上げた時点で『ポップカルチャー』という言葉はなかったですが、鉄人28号自体がいま全世界に出ているジャパニーズアニメーションの金字塔なんですよね。

日本で初めて作られた連続TVアニメは鉄人28号と鉄腕アトムとエイトマン。これらはすべて同じ1963年にできてるんです。

その鉄人28号を見て憧れた永井豪さんがマジンガーZを作り、鉄人28号が大好きだった押井守さんがパトレイバーを作り、エヴァンゲリオンを作った庵野秀明さんも子供の頃から鉄人28号に憧れていたらしいです。つまり、エヴァンゲリオンもガンダムもマジンガーZも、ルーツは鉄人28号にあるんですよ。

一方で、三国志は日本の江戸時代のポップカルチャーなんです。

三国志自体は1800年前の話なんですけど、『正史』と呼ばれる魏志倭人伝が出てくる歴史書と、それをもとに800年前に羅漢中がいろいろ民間伝承があったのをまとめた『三国志演義』があって、それが江戸時代の日本で印刷技術が進化したこともあり、冊子として庶民の手に渡るんですね。

そして、それを取り上げた歌舞伎が生まれる。その冊子を読んだ吉川英治さんが小説にする。その小説を読んだ横山先生が漫画にする。その漫画を読んだKOEIのシブサワ・コウさんがゲームにする。

つまりその時代時代のトップメディアに取り上げられているんです。そして、日本で知られている三国志はほとんどが横山先生の漫画からなんですよね。

ということもあって、鉄人28号と三国志で地域活性化を起こそうというのが、もともとの趣旨なんです。

やはり日本アニメのスタートであるというのは大きくて、スタートっていまからは誰も作れないですから。まさしく鉄人28号というキャラクターが、極端に言ったらアカデミー賞までつながるわけです。日本のアニメ文化の先鞭ですからね。」

安藤編集長「横山先生が神戸に生まれて、そこにひもづけた人たちが居たというのが、神戸市民としては嬉しいですね。」

こうして、KOBE鉄人PROJECTが動き出します。

形がないからこそ苦労した資金集め

プロダクションや地域の方との合意形成はスムーズだったものの、大変だったのが資金集めでした。

岡田さん「はじめは国の補助金を取ろうということで動いていたんですが、ちょうどその頃、よそで本来の名目で使われない補助金が問題視されていたこともあって、ハコモノに補助金が下りなくなってしまっていたんです。なので、ゼロから資金集めをしなければいけなくなりました。

神戸市がなんとか3分の1ほどを予算化してくれたんですが、残り3分の2を1年以内に集めなければならないという状況になった。これがかなりの額なので、お願いしに行っても『これダメになったらどうなるの?』と断られてしまうことがほとんどでした。

そこで知恵を絞って、飲料水の自動販売機を設置してもらえるスペースを募りました。

ビルの共有部や協力会社の店頭などを提供してもらって、これを飲料メーカーに対して向こう5年間の使用料いくら出してもらえますかという契約を取り付けました。これで3分の2まで集めることができて、そこからはなんとか動けたんです。『残り3分の1をみなさんの力で』ということで頭を下げて。

神戸市職員の方も『じゃあ、その年だけはNPOの賛助会員になりましょう』ということで沢山の方に入っていただいたり、商店街単位でも『じゃあ、うちいくら出すわ』みたいな形で協力いただいたりしました。

残りは地道に神戸市各地のイベントに出向いていって、Tシャツを売ったり、募金を募ったり、街中に募金箱を設置してそれを回収するということを3年近くやっていました。

ただ、自分も含めてですが、形のないものなのでイメージが湧かないんですよ。まだ実物大ガンダムもできてなかったので。高さ15mくらいの鉄の建物ってなんだろうと考えたときに一番これかなと思ったのが、その当時よく行っていた東京で見た靖国神社の鳥居だったんです。

鋼鉄製でかなり大きくて一番上までだと20mくらいあるんです。その2段目くらいがちょうど15mくらいだったので、同行した神戸市の課長と見上げながら『あれくらいやろうな』と言っていました。

15mというとビル4階くらいの高さなんで、そこら中にあるイメージですが、「鉄人28号が立っている」というイメージはそうそう見当つかないので、原寸大のグラフィックを作ってトレーラーに載せて神戸まつりのパレードに出たり、サンボーホールでのイベントでは15mのシルエットをアクリルで作って床に貼ったり、とにかくできるまでの3年くらいは資金集めとどんなものができるかという『形のないもののアピール』をしていましたね。」

あの鉄人28号がまったくゼロから資金集めしてできていたとは!まだ誰も見たことがない、形のないものに対して、いかに協力を得るか。地道な活動が実を結ぶには、それ相応の時間と労力が必要だったようです。

©光プロ/KOBE鉄人PROJECT2024

注目されるようになったきっかけはお台場のガンダム

さきほど話にも出ましたが、鉄人28号ができたのは2009年。東京・お台場のガンダムと同じ年です。これが、バッチバチのライバルと思いきやそうでもないようで。

岡田さん「これがラッキーだったんです。僕らだけだったらプロモーションがどこまでできるかわからなかったんですよ。

そんな中、東京・お台場にガンダムが作られるという話で、もう東京ですからお金も地の利もあってプロモーションもメディア露出もすごかったんです。

ところが、そのうちガンダムは取材し尽くされてしまった。

そこに『西でもなんか作ってるらしい』という噂が流れて、とある新聞が工場に取材に行ってくれたんです。ちょうど頭とかのパーツを作っているところで、作っている途中の鉄人28号のパーツを新聞の1面に載せてくれた。となるとネットニュースにも載りますよね。

そしたら、もう次の日からものすごい取材攻勢。全国ニュースになるくらいの。そこから俄然やりやすくなりましたね。ガンダム様々です。」

安藤編集長「特にガンダムのプロジェクトチームと交流があったというわけではなく、たまたま同じ時期にという感じなんですか?」

岡田さん「実は、一度プロジェクトの事務局にいらしてるんです。当時、街全体の建築模型の中にスケールを合わせたモニュメントのフィギュアを置いていたんですが、それも見ていただきました。当然、ガンダムの計画は進んでいたはずなのに一切その話はされませんでしたけど(笑)。

その後、東京のBSで東のガンダム、西の鉄人28号で2時間番組が組まれることになり、ガンダム側のサンライズの常務さんと並んで私を呼んでいただいて、お互いの造形の苦労話をしました。

その時はもうお台場にガンダムができてたので、いそいそと見に行きました(笑)。」

ガンダムのおかげで鉄人28号の認知度が上がったというのは面白い話ですね。不思議なご縁でつながった両者は決してライバルではなく、ともに同じ苦労を味わった仲間と言っていいのではないでしょうか。

原作にないポーズになった理由

新長田にそびえる鉄人28号モニュメントは、腕を上げて胸を張っていますが、実はこのポーズは原作にないそうです。なぜこのポーズになったのでしょうか?

岡田さん「もともとコンペをやろうということになっていたんです。鉄人28号のフィギュアってガレージキットを中心に、作っている造形作家の方が多くいらっしゃるんです。

その中に今回のモニュメントの原型を作っていただいた速水さんという人がいらっしゃって、実にカッコいいんですよ。ガレージキットもいっぱい出されてますし。

そしてコンペがはじまったんですが、その方法は『デザイン画で』と言って いたんです。ところが、速水さんだけは本当に原型を作ってきてしまった。

コンペの条件が鉄人28号が起動するときの『ガオーッ』のポーズひとつと自由なポーズひとつ作るというルールだったんですが、最終的に決まったのが現在のモニュメントにもなっている速水さんが提案してこられたポーズです。『これからやるぞ!』という原作にはないポーズで、彼は『ファイト一発のポーズ』と呼んでいます。

©光プロ/KOBE鉄人PROJECT2024

私達もカッコいいと思ったし、光プロさんも『じゃあこれでいきましょう』となってこれに決まりました。

ただ、昔の漫画って今では当たり前のリアルな設定がほとんどなくて、原画そのままでは関節の可動部分がないので手も足も動かせなかった。なので今のモニュメントは、関節などが、なんとなく動きそうなようにアレンジされています。」

安藤編集長「本来、原作者がダメと言ったらダメになってしまうやつですね。」

岡田さん「要するに原作では平面のものとして描かれているけれども、そのまま立体にするといろいろ不都合が出てきておかしなものになってしまうんです。

速水さんの作品はその要素も完璧にフォローできてたので、これだったらこのまま大きくできるなということで採用になったんです。」

安藤編集長「なるほど。『ファイト一発』いいですよね。でもいまや『ガオーッ』よりもこれのほうが鉄人28号のイメージですね。」

原作を忠実に再現するよりも、実際にどう見えるかを最大限優先し、完成した鉄人28号モニュメント。造形作家の熱意と岡田さんやプロダクション側の人たちとの信頼関係で成り立ってると思うと、また違った見え方がしてくる気がします。

鉄人28号モニュメントと長田のこれから

鉄人28号モニュメントができて今年で15年。

完成した鉄人28号モニュメントと三国志を中心に据え、長田はポップカルチャーの街になり、ポップカルチャーフェスティバルなどのイベントも行われるようになりました。

鉄人28号モニュメントがある若松公園では第21回目を迎えた「琉球祭」や1日に700名以上のダンサーが参加する「鉄人ダンスフェス」など多くのイベントが行われています。

これらのプロジェクト・イベントのほとんどを取り仕切ってきたのが岡田さんです。

震災から来年で30年。震災復興事業も終了を迎えます。今後についてはどのように考えておられるのでしょうか。

岡田さん「まもなく神戸市による震災復興事業も終わるので、市としても地域活性化事業の特別予算が組みにくい。となると、ある程度大きなイベントを残して、それに地域協賛・一般協賛をとって、一般的な補助事業くらいまでにした状況に戻していかないと、いままでどおりのことはできないと思っています。

KOBE鉄人PROJECT自体はそのままで、いま私がやっていることをみんなでできるようなシステムに切り替えていく感じですね。私ももう65歳なので、私の高齢化が一番の問題です(苦笑)。」

安藤編集長「願わくばずっとやっておきたいという想いはあるけども、現実を考えるとそうせんとあかんなという感じですかね。」

岡田さん「ですね。建築物としての寿命で考えてもまだ建って15年ですから、老朽化したとしても今後最低20年から30年は建ってるわけですから。

じゃあ、私が95歳でいまのことやれるかって言ったら現実的には無理なので、いままでなんとなく走ってきたものをちゃんと伝えていくことが必要なのかなと思っています。」

今後、継承される方に期待されることはありますか?

岡田さん「やっぱり私はつくった過程を知っているから、鉄人28号モニュメントに対する思い入れが深いと思うんです。

それを『業務』という形だけで引き継ぐことは難しいと思うので、なんらかの形で鉄人28号に対して愛着を持ってもらうということがテーマになるでしょうね。

『汚れてきたから塗り替えなあかんな』じゃなくて『きれいにしてあげたいな』と思うくらいの気持ちを持ってもらえるといいなと思っています。」

30年にわたって長田のまちで鉄人28号をはじめさまざまなプロジェクトとイベントに関わってきた岡田さん。その役目は次の代に引き継がれようとしています。

鉄人28号のレガシーが現在のジャパニーズアニメーションの原点であるように、岡田さんのまちとの関わりや、鉄人28号に対する想いもきっと後進に受け継がれていくことでしょう。

そして、今後、長田のまちで、岡田さんがどんな取り組みがなされていくのか楽しみです。

©光プロ/KOBE鉄人PROJECT2024

三宮一貫樓 安藤からひとこと

今回のKOBEZINEいかがでしたか?

岡田さんの様々な分野の知見に富むお話を伺いまして、私自身たいへん勉強になりました。

まさかお台場のガンダムと長田の鉄人が共闘戦線を組んでいたことには驚きでした(笑)

今回のお話を聞きまして、長田の鉄人はただのランドマークやモニュメントではなく、その設置経緯も含めて次代に残すべきレガシーだと強く思いました。

長田が誇るポップカルチャーの象徴。
まだ見ていない方は、ぜひ今KOBEZINEを精読の上、見に行ってくださいね。

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