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KOBEZINE

INTERVIEW

2023.5.23

神戸で多店舗展開する若き経営者3人のこれまでとこれから〜敬愛するシェフへの想いと共に神戸の食文化を育む

Text_山﨑 謙 / Edit_伊藤 富雄 / Photo_相澤 誠(ADW Inc.)

神戸市の人口は約150万人(2023年5月現在)。政令指定都市の中では7番目の規模ですが、繁華街が三宮・元町周辺の狭い範囲に集中しているため、飲食業にとっては難しいエリアだと言われています。

ちなみに、Apaman Network株式会社によると、三宮・元町を擁する中央区の飲食店数は1032店舗で、三宮・元町周辺の飲食店はコロナの影響があったとはいえ、やはりお店の入れ替わりが激しい印象を受けます。

今回の「KOBEZINE」は、1店舗の運営だけでも難しい神戸で、コロナ禍を経てもなお多店舗展開している、3人の若き飲食経営者と安藤編集長との対談です。

岡崎 健太(おかざき・けんた)

1983年神戸市北区生まれの39歳。

株式会社LIBERO代表取締役。 専門学校卒業後、東京のイタリアンやスペインバルで9年ほど働いた後、神戸へ戻って3年ほど修行。2015年、南京町に1号店「クッチーナ・リベロ」をオープン。
現在は鯉川の「LIBERO A」、トアロードの「葵リベロ」のイタリアン2店舗と元町の居酒屋「お晩酌 リベロ前」の3店舗を経営。
「KOBEZINE」には有無有限会社の朝山壮一郎さんの回にもコメントで登場。

瀬田 亮太(せた・りょうた)

1985年生まれの37歳。
有限会社アオイコーポレーション・株式会社CANDIDO代表取締役。
飲食店勤務の後、2012年のトアロードの「terzo(テルツォ)」を皮切りに、2014年「quarto(クアルト)」、2016年「Santo Bevitore(サント ベヴィトーレ)」、2017年「Caprino(カプリノ)」、2020年「wine shop Candido(ワインショップ カンディド)」、「深食屋 おいちゃん」、2022年「IBRA(イブラ)」、「パーラー元町」の8店舗を経営。
飲食店経験はあるものの専門学校、修行経験のない異色の経営者。

江顕仁(こう・けんじん)

1987年神戸生まれの36歳。
合同会社SMYH代表社員。伯父は南京町の「老祥記」の曹英生さん。
その伯父の影響を受け飲食の道へ。
大学中退後、缶詰と瓶ビールの立ち飲み屋を立ち上げ。その後ピザ屋やイタリアンで5年ほど修行を積み、2016年1号店「べらみ」をオープン。
現在は二宮に「焼鳥米澤」、「Za’snatch(ザスナッチ)」の2店舗を経営。5月には「神戸肉料理 すぎたに」がオープンし3店舗体制に。
二宮を「裏三宮」として盛り上げようと奔走中。

2店舗目はこんな経緯でオープンした

現在三宮・元町界隈に8店舗を展開する瀬田亮太さんですが、2店舗目はどういう経緯での出店だったのでしょうか?

瀬田さん「1店舗目を1年くらいやって、ある程度軌道に乗ってきたんですが、満席で断らないといけない時に『近くにもう1店舗つくったら、そっちを使ってもらえるかな』と思ったのが最初ですね。

2012年の9月にオープンして、最初の3〜4ヶ月はしんどかったですけど、当時は雑誌と食べログの力がすごかったんで、年末までにはなんとか売れるようになって乗り切って、春ぐらいには雑誌にも載せてもらっていい感じになってました。

リピーターを増やすためになにか工夫されたのでしょうか?

瀬田さん「真面目に頑張るだけです。頑張って料理して、頑張ってサービスして、喜んでいただいて、って感じですね。」

一方、二宮に2店舗を展開(2023年5月には3店舗目もオープン)する江さんの場合は、「まさにタイミングだった」とのこと。

江さん「1店舗目がオープンしてから、2年も経たないくらいのときに『二宮で物件が出た』というので見に行ったんです。見た途端『おお、やりたいな、ここで。』という気持ちにさせてくれる物件でした。

ちょうど任せたい人もいたので『どう?』って訊いてみたら『いいっすね!』って言ってくれたんで『よっしゃ、やろう!』って感じでした。

実は、瀬田さんと同じ「満席の時に、近くにある別のほうの店を使ってもらいたい」という理由もあるんですが、まあ、それはあとづけです。

半年くらいはすごく苦戦したんですけれど、その後メディアに結構取り上げていただいて、特にその当時は雑誌の恩恵をすごく受けました。」

そういえば、10年前はまだSNSが現在ほど種類もユーザーも多くなく、Google Mapにも飲食店のクチコミを投稿する機能はありませんでした。

食べログと雑誌の影響力が強かった時代で、筆者もお店の情報は「Meets Retional」や「Kansai Walker」などの月刊誌や情報誌で得ていた記憶があります。

さて、順風満帆なお二人に対して、岡崎さんはちょっとしんどい期間が長かったようで…。

岡崎さん「いやー、そうですね。これは僕の出番ですね(笑)。ちょっとどころじゃない…(苦笑)。1店舗目のあそこ以上に悪い場所はないです。軌道に乗せるまでに1年半くらいかかりました。

試行錯誤もしましたし、何があかんのかもずっと考えてましたし、流行っているお店がどのようにして流行っているのかもずっと見ていて、『どうやったら追いつけるのかな』と、暇やったんで地中深くに潜ってる感じでずっと考えてました。

それこそメディアにも取り上げられなかったし、食べロガーも来ない。『これどうしようかな…』って感じで。結局2店舗目をやるまでには4年かかりました。

その苦しい4年のあいだに「2店舗目をやろう」って思えたきっかけはなんだったんですか?

岡崎さん「最初のお店を出すときに、お金もかけられてないし、やりきれてなかったことが多くて、すごく後悔しました。なにもわかってなかったんです。

二度と間違わないためには、いまあるお店の改装だけではちょっと弱い。そこでまずは2号店をつくって、そこで注目を集めないと話にならないなと思いました。

トアロードの2号店のほうに来てもらって『1号店ってどこなん?』という流れをつくる。じゃないと1号店には来てくれないなと考えたんです。」

ちなみに岡崎さんは2店舗目ができても1店舗目に残られたとのことですが、その理由はなんでしょう?

岡崎さん「2号店ができても自分が居る1号店は流行ってなかったんです。もちろん新しいお店のほうに行きたかったんですけど、まずは『自分の力で1号店を人並みに流行らせなあかんな』と。」

2号店から1号店をたどっていただく作戦が功を奏して、いずれのお店も繁盛店となり、ここ2〜3年で雑誌やテレビにも取り上げられるようになりました。

ワインが神戸でもっとデイリーなものになるように

「満席の時に、近くの別のお店のほうを使っていただく」で始まった瀬田さんの店舗展開ですが、その発想の原点はイタリアの豊かな食文化にあるようです。

瀬田さん「4店舗目の『Caprino』のときは、イタリアのフィレンツェにある『IL SANTINO(イル サンティーノ)』というバールをモチーフにしてます。

フィレンツェって昔から変わらない歴史のあるお店が多くて、そこはバールのほかにパン屋とレストランもやっていて、レストランは『IL SANTO BEVITORE(イル サント ベヴィトーレ)』というあまりイタリアっぽくない100席くらいあるお店なんですが、その横にちっちゃいバールがあるんです。

そこでアペ(=Aperitivo[アペリティーボ]:食前酒の意味。転じて早い時間から飲むことを指す)したり、レストランでごはんを食べてからバールへ来たりしてるのを見たんですよ。

そのときに1店舗目の『terzo』と3店舗目の『Santo Bevitore』の間に、『あんな店あったらいいなぁ〜』みたいに浮かんできたアイデアが『Caprino』です。

8店舗やっててすごいって言ってもらえるんですけど、そんな天才肌ではないんで、実際にはモデルケースをイタリアで吸収してきています。

コロナになる前は毎年のようにイタリアへ行ってましたけど、お店のメンバーを連れて行ったらそれぞれの吸収してくることが違ってて、料理人はやっぱり料理やし、ソムリエはワインのことばっかりやし。

僕の場合は『こんな店かっこいいなぁ』とか『こういう食文化いいなぁ』と着想を得ることが多いです。

うちが結構昼飲みやってるのもそれが理由です。日本だとランチの時間帯って格安のランチセットとかやってますけど、イタリアではそういうのはなくて、昼からグランドメニューやって、昼から普通に飲んでるんですよ。

なのでうちのグループでは『昼飲みがもっと自然になればいいな』っていうのを意識していて、ワインが神戸でもっとデイリーなものになるように、食文化のレベルを上げていきたいと思っています。」

安藤編集長「先日、この1本前の『KOBEZINE』の取材が終わってからスピーカーの人と一緒に打ち上げに行こうってなって、やっぱり『Caprino』を目指しました。木曜日でお休みでしたけど(笑)。

でも、『昼飲みがもっと自然になればいいな』というのは、だいぶ浸透してきているんじゃないですか?」

瀬田さん「たしかに、そんな感じはありますね。」

なるほど、こうした考えもあって、瀬田さんの店舗展開はそれぞれのお店から歩いて移動できる場所に限っているんですね。そうしたエリア内でのコンパクトな設えが、神戸の食文化の熟成に貢献しているのは間違いなさそうです。

東京を経験したからといって神戸で流行るわけではない

岡崎さんは9年ほど東京での修行を経験されてますが、そもそも上京された理由はなんだったのでしょう。

岡崎さん「いや、もうノリ!(一同笑)全くなんも考えてない。ノリでしかない。なんで東京行ったかまったく思い出せません。」

その東京での出店は考えなかったんでしょうか?

岡崎さん「考えなかったですね。東京は全体的に見れば大きいですけど、コンパクトな街が集まってできているので。

恵比寿も三宮と同じくらいの規模で、あくまで三宮の駅や梅田の駅がいっぱいあるって感じです。なので、東京で拡大って言っても三宮と同じくらいの規模の話で、23区全体でやるって感覚ではないです。だったら、神戸と一緒かなと。」

東京で経験されたことで、いまに活きていることってなんでしょう?

岡崎さん「料理の基礎はもちろんなんですが、忙しいお店で働かせてもらってたので、忙しい時にどうさばいていくかというノウハウですかね

あ、でも、お店の雰囲気づくりがいま一番活きてますね。どういう風につくったらどういう雰囲気になって、臨場感や店のワイワイした感じが出るのか。そういうのは東京で体感してきましたから。

ただ、東京でやってきたから神戸でも成功する、というわけではないんです。神戸には神戸の文化があって、神戸のやり方があるので、東京のやり方をそのまま持って帰ってもスタートはできないと思いますね。」

商圏の大きさは大差なくとも、土地によってそこに根付いている文化は千差万別、まるで違う作法が求められるのは容易に想像できます。

しかしそれは、違う土地での経験があるからこそ感じ取れることであり、それがあってはじめて岡崎さんならではのお店づくりが、ここ神戸でできていると言えそうです。

自分の家の近くに美味しいごはん屋さんがあったらハッピー

さて、江さんは神戸でもさらにギュッと範囲を絞った「二宮」という場所を「裏三宮」として盛り上げていこうとされてます。なぜ「二宮」なのでしょう。

江さん「僕が『Porto Bar KNOT』で働いていたとき、店主兼ソムリエの田代幹雄さんに『飲食店は街を変えられる力を持っている』と言われていたんです。それは飲食店が人の流れをつくることができるからなんですけど、それを僕自身がやってみたいなと思った。

で、神戸のどこがまだ未開なのか。行く人は限られていて、僕ら世代で行かへんとこってどこやろって考えたときに『二宮』が出てきた。

現に僕が小学生のときには『ガラが悪い』『ちょっと怖い』というイメージがあって『寄るな』って言われてた場所だったので、自分がそこでなにか違うイメージをつくっていけたら面白いなと。

自分の家の近くに美味しいごはん屋さんがいっぱいあるって、二宮に住んでいる人たちにとってもハッピーだと思うので、そういうビジョンに従ってやってるって感じです。

まだちょっとしか出店できてないですけど、ゆくゆくはもっと飲食店が増えて、来る人も増えて、『第二の三宮』と呼ばれるくらいに盛り上がってくれたらいいなと思ってます。」

江さんが考える「二宮」の良さってなんでしょう?

江さん「『二宮』の良さはいい感じに『ボロい』んですよね(笑)。新しいものはどんどん作っていけるんですけど、あの街の古い感じの雰囲気ってなかなか作りだせないんですよ。仮につくったとしても偽物感が出てしまうので。

もちろん新しいものも入って来てはいるんですけど、そこに住んでいる人たちだとか、ちょっとした店の看板だとか、やっぱりどこかしら昭和っぽいところがあって、それが平成を超えて令和のいまも残っている。

三宮から徒歩圏内で世界観がガラッと変わるというのが貴重で、自分たちでは出せない味だし、僕自身はその感じがすごく好きです。」

自分にしかできないやり方を考える

そんな「二宮」が三宮・元町で店舗展開をされている岡崎さん、瀬田さんにはどう映っているのでしょう?

岡崎さん「僕はいいと思いますね。大阪だったら北浜みたいに新しいエリアができるんですけど、神戸って狭いからエリアが広がらないと思うので。」

安藤編集長「人口の違いだと思うんですけどね。それが神戸の良さやと。三宮・元町に一極集中してるってすごくわかりやすいし、ワンストップで行けるし。」

岡崎さん「でも二宮くらいまでは行って欲しいですよね。」

江さん「ありがとうございます!(笑)」

瀬田さん「僕はどちらかと言うと江さんとは考え方が逆なので、『自分が率先してこの場所を開発していくぜ!』というのは全然ないですね。だから『誰もやってないところでやりたい』とか『神戸にはないジャンルだからやりたい』という話を聞いていると『チャレンジャーやな』って思います。」

岡崎さん「瀬田さんは横綱ですからね。王者が居るので、僕らはその場所には行かないです。瀬田さんのお店が君臨してるから…。」

瀬田さん「言い方…(笑)。」

岡崎さん「同じやり方で戦っても多分勝負できないですよ。僕らは後から来てるので。
『じゃあ自分らでしかできひんやり方ってなんやろ?』ってことをやっぱり考えますよね。」

安藤編集長「確かに。『がっぷり四つ』みたいなところは、神戸にはないですね。瀬田さんはしっかりしたところをあらかじめ押さえている感じがしますし。」

岡崎さん「それって瀬田さんしかできないことなので。でも僕らにしかできないことも必ずあるはずなので、そこをしっかり考えます。しんどいとき、めっちゃ考えましたもん。」

エリアが狭いからこそ、競合するのではなく、自分の色を出していく。神戸でお店を続けていくにはそういうことが大事なのかもしれません。

大好きだった「Bec」を引き継いだ瀬田さんの想い

さて、今回のインタビューは瀬田さんのお店「IBRA」で行われたのですが、この場所はもともと岸本達哉さんがオーナーシェフを務める「Bec(ベック)」というお店でした。

「Bec」には、安藤編集長も岡崎さんや江さんを連れて通い、また瀬田さんは個人的に好きで通っていたとのこと。神戸…いや日本のビストロの中でも指折りの名店だったそうで、かの松本隆さんも「Bec」のファンだったそうです。

しかし、岸本さんは残念ながら2022年5月に急逝。

この場所が好きで、師として仰いでいた岸本さんに弟のようにかわいがってもらっていた瀬田さんが、お店をそのままの状態で引き継ぎました。お店の名前は変わりましたが、扉にはいまも「Bec」の文字が残されています。

瀬田さん「1店舗目の『terzo』を始めてからコンスタントに来ていて、ずっと好きな場所で、すごいリスペクトしていた人と店でした。思い出もたくさんありましたし。

岸本さんが亡くなられたときに、ここに来ていた人たちとみんなで『この店どうする?』という話になったんですけど、店を引き継ぐなんてなかなか誰にもできることじゃないし、でも『自分の身体なら空けられるかなぁ…』って感じで。」

そんなに愛される存在だった岸本さんにはいろいろ興味深いエピソードがあります。

瀬田さん「岸本さんは、何でもお客さんの要望に合わせてするんじゃなくて、お客さんに『こういうものなんですよ』ときちんと提案していたのがとても印象に残っています。そしてそれは『自分もやっていかないと』と思いました。

それはワインのサーブひとつとってもそうで。大体のお店は『グラスワインを白で』ってお客さんに求められたら、白ワインを並べて『これがこうで』って一通り説明して、お客さんが選ばれるじゃないですか。

でも、お出しする料理は本当は赤ワインとともにいただいてほしい。それなのに白ワインを選んでらっしゃる、というケースもあるんですよ。

『それ、本当は赤ワインのほうがいいんですよ』って普通に言えばいい話なんですけど、言わないお店も多いし、お客さんに言われた通りにサーブするほうが多いと思うんです。

でも、岸本さんは『自分の料理に対してこのワインが合う』っていうのを持っていて、グラスが空いたらもう勝手に次の料理に合うワインを入れてくれるんですよ。ああいうのはすごく勉強になりました。

自分でもやってみたら、それが気に入って通ってくれるお客さんも結構いらっしゃったので。いや、本当にいろいろ勉強になりました。」

多くの人に敬慕される岸本さんならではの逸話です。最高の料理を提供するという岸本さんの料理に対する姿勢そのものに惚れ込んだ瀬田さんが、ここを引き継ごうという決意を固めたのも大いに頷けます。

業界全体の課題と多店舗展開がゆえの課題

ところで、さまざまな物価が高騰している昨今、最高の料理を提供するために、いかにしてお店を継続するかという課題もあります。

瀬田さん「我々が先々続けていくためには、適正に休みがとれるようにして、従業員に適正な給料が払えるよう、適正な利益はいただくべきやと思うんです。もちろんそれが料理とかサービスに見合ってなかったらダメなんですけど。

これはどの業種にも言えることだと思うんですけど、特に飲食業界は全体的にそこが低すぎる。だからここを上げていくために、低価格で頑張っているお店を評価するよりは、『こんないい料理出してるんやから、もっともらったら?』という流れに、飲食業界全体が率先してやっていかないといけないと思います。」

いいサービスには適正な対価を支払う。世界では常識であるこのことが、ここ日本ではなおざりになっているということは否定できません。

かつて「いいものを安く大量に」という時代がありましたが、社会の構造が変わった今でもその価値観を引きずっているために、本当に価値のあるものを提供してくれる人たちが正当に評価されないのはやはり問題ではないでしょうか。

一方、多店舗展開する上で、現場に対する課題もあります。

江さん「お店をマネジメントする側になって現場に入らなくなったので、見えないことが増えた。これが、いま一番の課題ですね。」

瀬田さん「僕ももうここ(IBRA)にしかいないんで、最近、全体が見えなくなってきて…。数字はちゃんと見てますけど、数字だけじゃわからない人のところがやっぱりいろいろと…。

前まではもっと見てたからちゃんとケアできていたことが、できていなかったり、遅くなってしまったりはしてますね。」

江さん「それが大阪に行かない理由かもしれません。管理ができない。」

岡崎さん「僕もガッツリ…バリバリ…店に入ってます(笑)。ただ人もそんなにいないので、どうしても『リベロ前』にかかりきりになってしまう。

もともと料理人やっていうのが一番にあって、現場も好きですしね。自分としてはプレイヤーとしてやりたいタイプなんですけど、やっぱり各店舗を回れるのが理想です。でも、難しいですね。」

どんなビジネスでも現場が一番大事。経営者なら現場の様子に細大漏らさず目を配って事業を推し進める責任がありますが、ことに多店舗展開をする場合、ここが一番手のかかるところ、ということでは共通しているようです。

神戸でしか味わえないことを体験してほしい

最後に、神戸以外から来られる方にそれぞれのお店をどのように楽しんでほしいのかを伺いました。

瀬田さん「うちは『深食屋 おいちゃん』以外のすべてのお店で、お昼からお酒が飲めるので、昼から楽しく飲んでもらえたらいいなと思っています。」

岡崎さん「金沢や富山に旅行で行ったときに地元のお酒や地元の魚を使ってますと謳っているお店って絶対あると思うんですが、そういうお店が神戸には少ない。なので、自分のお店を神戸のお酒が飲める・神戸の地物が食べられるお店にしていきたいですね。

すでに『葵リベロ』では『兵庫を食べる』というのをテーマにしていますけど、『リベロ前』でも神戸の地酒をもう少し取り揃えられるようにしていきたいです。」

江さん「いままでは、ターゲットを神戸の中で考えてしまっていたんですけど、次にオープンする肉料理のお店に関しては、2025年に神戸空港が国際化されるのも見越して、インバウンド向けとしてもやっていけたらと思っています。

インバウンドの方にとっては『神戸=神戸ビーフ』なんです。そのイコールをもっと強くしていきたい。その一方で『神戸ビーフ=鉄板焼』という一強パターンになってしまっているので、そのパターンをもっと増やしたい。

産地が近くて鮮度がある神戸だからこそできる食べ方の提案をして、『神戸でこういう体験をした』といういい思い出を生み出すお店をつくりたいです。」

言葉は違えど、3人に共通している想いは「神戸でしか味わえないことを体験してほしい」ということ。

そして、神戸に来られた人たちがそれぞれのお店をハシゴして楽しんでいく流れができ、その流れがお店のカルチャーを守り、また新しい流れを作る。そのプロセスがまた、神戸の食文化を育んでいく。そんな風景が見えてきました。

若き3人の飲食店経営者が創り上げる神戸の飲食カルチャーを、我々も一緒に楽しみましょう!

三宮一貫樓 安藤からひとこと

今回のKOBEZINEいかがでしたか。
全員30代。今が旬の飲食店経営者の目線の高さがうかがえる素晴らしい対談だったように思います。

良き店、良き街、良き文化を各々のリソースを用いて、作り上げようとする3人が交わることによって、神戸の食がここから更にレベルアップする姿を垣間見たような気がします。

飲食店の元気はその街自体のエネルギーです。
二宮を含めた三宮元町地区の発展は、彼らに懸かっていると言っても過言ではありませんね。

若き飲食経営者たちの未来に幸あれ!

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