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KOBEZINE

REPORT

2023.2.28

「大衆演劇をもっとたくさんの人に知ってほしい」新開地劇場・渡邊将人さんが語る新開地という町と大衆演劇の過去、現在、そして未来

Text_山﨑 謙 / Edit_伊藤 富雄 / Photo_相澤 誠(ADW Inc.)

かつては全国各地の繁華街で見られた大衆演劇。「なんとなくイメージはあるけど、見たことがない」という人が多いのではないでしょうか?

今となっては地方の温泉地やスーパー銭湯でしか見られないのかと思いきや、灯台下暗し、神戸にはなんと大衆演劇専用の劇場があります。

それが新開地駅から南へ徒歩5分のところにある「新開地劇場」です。

創業は戦争直後の昭和20年。過去にはなんとあの美空ひばりさんをはじめ、錚々たるスターがステージに上がったとか。

当時は映画館や劇場が多く立ち並び、歓楽街として『東の浅草、西の新開地』とも称された新開地もテレビの台頭などにより次第に衰退。

そんな中、「新開地劇場」は昭和55年に大衆演劇専門の劇場となり、興行を続けていましたが、平成7年の阪神・淡路大震災で被災。震災後、現在の建物に移り、今に至ります。

75年続く劇場の4代目は、ゴルフの元レッスンプロで、現在もトップアマとして一線で活躍という異色の経歴をもつ渡邊将人(わたなべ・まさと)さん。

渡邊さんは「大衆演劇をもっと多くの人に知ってほしい」と言います。

街とエンターテイメントの栄枯盛衰に翻弄されながらも、営業を続ける「新開地劇場」で、地元新開地、そして大衆演劇のこれまでとこれからについてうかがいました。

渡邊将人(わたなべ・まさと)

昭和55年生まれ。新開地劇場を運営する大和興行株式会社代表取締役。
小学3年からゴルフをはじめ、中学2年から競技にも出場しキャリアは30年超。

戦後の新開地に芝居小屋と映画館を建てる

「新開地劇場」ができたのは、戦後すぐの昭和20年。もともと大阪で林業をされていた渡邊さんのひいおじいさんが、戦後の立ち退きに伴い、神戸に引っ越されてきたところからスタートします。

渡邊さん「曽祖父が住んでいた場所が、北野の異人館街みたいな感じになるので、明け渡す必要があったらしいです。当時、林業をやっていたので、木材をいっぱい持って神戸に引っ越してきたのが始まりです。

芝居小屋と映画館とストリップ劇場とパチンコ店を開業しました。映画館は神戸だけで8店舗、東宝系の映画館で、曽祖父はその会長もやっていました。」

映画館は全部新開地ですか?

渡邊さん「いえ、新開地には映画館が2店舗と芝居小屋とストリップ劇場でした。今、となりに薬局がありますけど、あそこにパチンコ屋があって、あと二宮にも劇場がありました。

一番多いときは十数店舗やっていたらしいです。僕が知ってるのは新開地と二宮の5店舗だけだけで、『(渡邊さんが)赤ちゃんのときはもっとあったよ』って聞いてましたね。」

事業を立ち上げられたひいおじいさんはどんな方だったんですか?

渡邊さん「最後のほうはもう病院で寝たきりやったんですけど、僕はちっちゃかったんで、すごいかわいがられてましたし、優しかったですね。

長女にあたる僕のおばあちゃんは、12歳から店を手伝っていて『まぁまぁ厳しかったし、怖かった。』って言ってました。」

12歳から店を手伝うとか、戦後ならではのエピソードですね。

渡邊さん「戦後は人の数がすごすぎて、売上もすごかったって言ってましたね。新開地が今の三宮とか大阪みたいに人で溢れてて、毎日ものすごいお客さんで。

今やったら考えられないですけど、お金なんて店開けたら入ってくるから、どんぶり勘定で、給料もパーッと出す感じだったらしいです。」

長年映画評論家として活躍された淀川長治(よどがわ・ながはる)さんや水野晴郎(みずの・はるお)さんも、新開地の映画館や劇場にはよく足を運んでいたそうです。

渡邊さん「昔の映画館って居放題なんですよ。10時から朝の5時まで入れ替えなしで開けてて、同じのを3本やるんです。だから入ったら朝始発まで居られる。『毎日来てた』っておばあちゃんがそう言ってました。」

西の聖地から没落、苦境の新開地

それほどの大歓楽街だった新開地ですが、浅草がいまだに演芸の聖地である一方で、新開地はかつての元気がありません。

いったいどこで差がついてしまったのでしょう。

渡邊さん「浅草ってほかにもお店が多いじゃないですか。新開地ってさっきも通ってこられて感じたと思うんですけど、お店が少ないんですよね。どんどん離れていってる感じがします。」

歴史を紐解くと新開地は苦難の連続でした。

昭和32年、湊川にあった神戸市役所が東の三宮へ移転し、行政・商業の中心が三宮へ移るきっかけになります。

ちょうど同じころに始まったテレビ放送をはじめとした娯楽の多様化により、映画産業が衰退。客足が遠のき、映画館や劇場、芝居小屋の多くが閉鎖されました。

さらに、昭和43年には阪急・阪神・山陽・神鉄をつなぐ神戸高速鉄道の開通に伴い市電が廃止し地上を歩かずに電車の乗り換えができるようになったこと、そして集客に寄与していた沿岸部の工場の移転縮小と、客足が遠のくできごとばかりが続きました。

街は寂れ、治安が悪くなり、ついには「行ってはいけない場所」として認識されるようになってしまいます。

それでも昭和55年に「大衆演劇専門館」にするなどして、興行を続けます。

阪神・淡路大震災で大衆演劇専門館と映画館は全壊

窮地に立たされた新開地をさらに阪神・淡路大震災が襲います。

渡邊さん「向かいの映画館(シネマ神戸)のところにうちの大衆演劇専門館と映画館が並んであったんですけど、両方とも全壊してしまって、残ったのがストリップ劇場だったんです。

そのとき私は中学2年だったんですけど、家も全壊で、何週間かは残った劇場で寝泊まりしてました。それでもよかったなぁと思うのは、被害が大きかったのって神戸周辺だけだったじゃないですか。

うちの劇場に出てくれた劇団で、そのとき地方で公演している役者さんが、『困ってるやろう』と、4トントラックに水と食べ物を積んで持ってきてくれたんです。それをおじと祖母が商店街の人たちにも配ってました。

遠方からすぐ来てくれる役者さんが居て、本当にありがたいなぁと思いましたね。」

大衆演劇専門館も映画館も全壊となると、再建はなかなか大変だったんじゃないですか?

渡邊さん「そうですね。そのとき会長だったおじが、『芝居は続けないかん』ってことで、そのストリップ劇場で震災から半年も経たないうちに大衆演劇をはじめたんですよ。

ただそこはちょっと狭くて、おじも祖母も『舞台をちゃんとやりたい』と。

その当時の大衆演劇のイメージって、『狭い』『安い』『汚い』だったので、それを払拭したい。大衆演劇のイメージを変えたいと。

それで、舞台は広い舞台にする。天井を高くして2階席をつくる。大衆演劇の劇場の客席は通常はまっすぐなんですけど、それを映画館並みに斜めに傾斜をもたせる。舞台で使える道具を増やす。

そうしてできたのが、今の『新開地劇場』です。」

筆者も四国や九州にある芝居小屋や、地方の温泉街にある大衆演劇の劇場を見たことがありますが、「新開地劇場」はそれらとは比べ物にならないほどの立派な施設で、演目の看板や幟が出てなかったら、大衆演劇の劇場とは思えないほどです。

中に入っても「セリ」や「花道」の話が出てきて初めて「あ、ここ大衆演劇の劇場やったな」と思い出したくらい設備が整っていてびっくりしました。

客も厳しい大衆演劇の「マスターズ」

破格の規模で再建された「新開地劇場」には、奥まで続く広いヒノキの舞台にセリと花道があります。天井が高いため大衆演劇の劇場としては珍しいゴンドラも設置されています。

またお芝居で使う幕はなんと100種類以上、小道具もものすごい数が用意されています。これだけ設備が整っている大衆演劇の劇場はそう多くありません。

渡邊さん「もともとうちの会長が関西の劇団の会長をやっていたこともあって、ここの舞台はゴルフで言うところの『マスターズ』や言うて、頑張ってくれてますね。

その代わり『神戸のお客さんは難しい。大阪のお客さんは笑い入れたらいけるけど、神戸のお客さんはそれだけでは来ない。演目しっかり全部やる必要があるし、目が肥えてるからすごい難しい。』って言ってます。」

なるほど、神戸の人はパン舌だけでなく目も肥えていると。劇場や会長だけでなく、お客さんも含めてゴルフの「マスターズ」のような場所なんですね。

慣れるまでが大変な舞台の「広さ」

ところで、初めて「新開地劇場」の舞台に上がる劇団は、戸惑うことがあるそうですが。

渡邊さん「ここの舞台はほかの劇場より広いので、初めて上がった劇団はよう使えないんですよ。

いつもやったら5〜6歩で移動できる空間で踊っているのを、ここだと上手も下手も花道も、普段の数倍の距離を1曲の間に全部行かないといけないじゃないですか。

初めてだとその感覚がつかめず、いつもの感覚で狭いスペースだけでやるから、客席から見てたら寂しい感じになってしまうんです。広いのにあまり動かないから。

でも、最初のうち、踊ってるほうはわからないんですよ。皆さん、『慣れるまで大変でした』って言ってますね。」

「安さ」は大衆演劇の「使命」

「狭い」「汚い」を払拭し、大衆演劇のイメージを刷新した「新開地劇場」でしたが、「安さ」はそのままでした。

渡邊さん「大衆演劇って入場料安いんですよ。今は2,300円なんですけど、ここができた当時は1,800円だったんです。毎日お客さんを満員で回してギリギリの感じです。だからすごく大変やったと思います。」

もうそれは「使命」みたいなものを感じますね。

渡邊さん「そうですね。でも、おじは『値段はあげたくない』って。祖母もずっと言ってました。消費税が上がるって言ってもギリギリまであげへん。大変ですよね。電気代がすごいから。」

今なんか特にそうですよね。

渡邊さん「本当に目ぇ飛び出るんちゃうかなって思うくらい(電気代が)高いときありますね。

でも、『いろんな人が毎日でも来れる値段で、毎日見たいなと思う舞台にするのが大衆演劇の良さで、我々の使命や』とずっと言われてきたので。」

これだけ設備の整った大きい劇場を維持し、営業を続けていくのは、並大抵のことではありません。特に燃料費が高騰している昨今、2,300円という価格は破格です。「いろんな人が毎日でも来れる」ことを「使命」としているとは言え、相当な企業努力で成り立っていることは想像に難くありません。

大衆演劇の魅力は役者との距離が近いこと

「安さ」は「使命」とのことですが、そもそも大衆演劇の一番の魅力はどういうところなのでしょうか?

渡邊さん「お客さんと演者が近いというのがやっぱり一番ですね。

歌舞伎はしっかりお芝居が決まってますけど、大衆演劇はお芝居や口上挨拶とかでもお客さんを巻き込んだりするんですよ。お客さんも入れて一緒に芝居をふくらませていく感じですね。

今はコロナでできないですけど、終演後の『送り出し』というのがあって、演者と握手したり写真撮ったりできる。そういうところでもお客さんと演者とのコミュニケーションがとられてますね。」

歌舞伎と分かれていったのは、そういうところですか?

渡邊さん「そうですね。お芝居で使う言葉も歌舞伎ほど堅くないですし。

もうひとつ、歌舞伎と大衆演劇の大きな違いは「お花」(=ご祝儀・おひねりのこと)がつくことですね。たぶん大衆演劇が唯一だと思うんですよ。他の業界ではそういうのは聞かないので。」

歌舞伎では「大向う」が屋号を叫んだりしますが、大衆演劇にはもっと多くの演者との接点がある印象を受けました。「お花」も演者とお客さんとのコミュニケーションツールのひとつとしての意味があるんですね。

なんでもあり?大衆演劇

実はインタビューが始まる前、取材陣も公演中の舞台の最後のほうをちょっとだけ見させていただいたのですが、お芝居が終わったかと思うと重低音のダンスチューンが流れて、それに合わせて髷姿の演者のみなさんが踊り出すんですね。

一時期流行った「パラパラ」みたいなのをチカチカする照明を浴びて踊っていて、客席も大盛りあがり。それこそお花なんかもついたりして。

最後にはアフタートークみたいなのもあって、ゲスト出演の演者さんがカツラをスポンと外して会場は大爆笑。

渡邊さん「この劇団の座長はあの吉田兄弟と仲が良くて、三味線も弾けるんですよ。

ほかにも手品をする人も居て、鳩出したりするんです。『なんで大衆演劇に鳩おんねん』って感じなんですけど(笑)。」

渡邊さん「大衆演劇の劇団って違うジャンルの方とコラボするんですよ。今やったらバイオリニストとコラボしてて、バイオリンを弾いてもらって踊る。

去年も有名な演歌歌手が来られて、まぁちょっと打ち合わせしてるんだと思うんですけど、口上挨拶の時に舞台に上がって歌を唄ってもらう。で、座長が歌に合わせて踊る。お客さんはそういうこととは知らないからびっくりしてましたね。

そういうのが予告されるときもあれば、予告なしにやることもあります。ルールがあるようでないような感じですね。」

面白いですね。いつか来たらそういうのに当たるかもしれないわけですよね。

渡邊さん「大衆演劇はひとつとして同じ演目はないんですよ。昼の部と夜の部でも違う。だから毎日来ても同じものがないです。」

すごいですね。でも、それこそ歌舞伎には絶対できない大衆演劇の強みでもあるように感じます。

最近だと歌舞伎のほうも「ワンピース歌舞伎」みたいなものがあって、少し寄ってきている感じもありますが。

渡邊さん「そうですね。でも、最近はテレビ離れも進んでて、スマホばっかりじゃないですか。YouTubeとかTikTokとか。となると、こういう生のものに触れる機会って少ない、つまり希少価値だと思うんですよね。

歌舞伎も大衆演劇もどっちもが盛り上げていけたらいいなと。いろんなお客さんに見てもらえたらいいですね。」

生の舞台と対局にあるYouTubeやTikTokですが、劇団はSNSを使っての情報発信や生配信をすることもあるそうです。

渡邊さん「みんなInstagramとかTikTokとかをやってますね。自分でライト当てて化粧をするところとか、三味線の練習とかを生配信したりしています。」

本当になんでもありで、演者さんとお客さんとの接点が多い。これが大衆演劇最大の魅力なんですね。

劇団によって異なる客層

大衆演劇と言うと中高年の女性のお客さんが多いイメージですが、実際はどうなのでしょう?

渡邊さん「と思うでしょ?実は劇団によって層が全然違うんですよ。今、うちで舞台やってる劇団は20代後半から上のお客さんが多いんですけど、違う劇団やったら若い子ばっかりのところもあります。

演者さんが若いということもありますけど、やる内容が劇団によって違うので、それでつく層がまったく違いますね。」

ちなみに若い客層を持つ劇団は新開地劇場でもやってるんでしょうか?

渡邊さん「やってますね。若い客層を持つ劇団の座長と仲がいいんですけど、歳は僕と一緒で40代前半。ですけど、座員さんは結構若くて人数が多いですね。

座員が多ければ多いほどできることが多いんですよ。今、うちで舞台やってる劇団はゲストを呼んで、そのゲストを入れて8名とか10名とかなんですけど、多いところはその劇団の座員だけで20名くらい居ます。

泣きものもするし、ヤクザものもするし、最後にはショーみたいなのもするし、きっちり本筋通した上で面白い。

オールマイティに真面目に全部できる劇団もあれば、真面目なのは2割で、あとはお客さん全員巻き込んで笑いに持っていく劇団もあります。初めて見た人は、お客さん巻き込んで笑いに持っていく劇団のほうが入りやすいので、それで若い人が多いと思います。」

若い方ってなにがきっかけで来られてるんでしょう?

渡邊さん「親子3代とかですね。お母さんが子供と来て、その子供が結婚して、3人で来る。」

なるほど。

渡邊さん「大衆演劇って根付いているようで、実は根付いてなくて。初めて見る方ってやっぱり入るまでにすごい時間かかるんですよね。

表の看板や幟を見る。コロナ前だったら終演後の『送り出し』とかで『あ、こんな人が舞台おんねんな』ってことがわかると来てくれるんですけど、わからないとやっぱり入るのが怖くて『何してんねんここ』『入りづらい』ってのは言われますね。」

確かに大衆演劇のことをまったく知らないで劇場に入るのは、やっぱり勇気が要りますよね。

現在はコロナで「送り出し」はできなくなっていますが、劇団や座員さんのSNSがその代わりになってくれているのではないでしょうか。

楽しみ方は人によってそれぞれ

客層が劇団によって異なるということは、実際に見てみて「ちょっと違うな」と感じる人もいそうです。

渡邊さん「あるかもしれないですね。なので、うちでも12ヶ月毎回来られて全部見る方もいらっしゃれば、たとえば『12月の劇団が好きやった』とか、今出てる劇団のを見て『いいな』と思ったら、そこのファンになる方もいらっしゃいます。そうかと思うと、いろんな劇団を見るために結構すぐに移動する方もいらっしゃいますね。」

もちろん追っかけの方もおられるんでしょうね?

渡邊さん「今回も客席の後ろの方にキャリーバッグがあったと思うんですけど、東京や九州からお休みとられて来られてますね。

東京の方で、金曜日のお昼にお仕事上がって、金曜日の夜の部から土曜日と日曜日の昼の部と夜の部をそれぞれ見て、日曜日の夜に帰られて、『月曜から仕事してまた来週来ます』という方もいらっしゃいます。

結構、そういう人が多いです。うれしいですね。本当に。」

「結構すぐ移動する」というのは意外でしたが、かたや週末を全部潰してでも東京から見に来る方もおられる。大衆演劇の楽しみ方は人それぞれなんだなと実感しました。

お客さんに見てもらえる劇団を選ぶ

ところで「新開地劇場」の舞台に上がる劇団さんはどのようにして決めてるんでしょうか?

渡邊さん「毎日来ていただくお客さんの見たい劇団から決まるんですよ。それは絶対外してはダメっていう。

劇団自体はいっぱいあるんですけど、お客さん受けできる劇団って本当に限られてて、ちょびっと(少し)しかいません。

そこを入れても12ヶ月は埋まらないので、中には売出し中とか、人気が出るんちゃうかっていう劇団を入れたりとかはします。でも、大体8ヶ月以上はトップ劇団だけって感じです。」

「新開地劇場」の舞台スケジュールってどんな感じなんですか?

渡邊さん「1ヶ月が基本で、中には2ヶ月やる劇団もあるんですけれど、それでも年間では余ってしまうので2回(=2ヶ月)は初めての劇団を入れます。

昔は「15日15日(=半月)」とかもあったんですけど、いまはもう1ヶ月公演で、休みが月の真ん中の1日と月の最終の1日。その月の最終の1日は移動日なんですけども。だから、劇団のお休みは移動日除くと月に1日だけですね。」

たった1日!!本当に好きじゃないとできないですね。

渡邊さん「できないですね。」

コロナとの闘い

これまで数々の難局を乗り越えてきた「新開地劇場」ですが、2020年からのコロナ禍もかなりキツかったようです。

渡邊さん「めちゃくちゃ大変でした。

コロナ前は平日でも220ある席が満席になってたんですよ。でも、コロナ報道があった瞬間、それが半分以下になりました。

『3ヶ月営業せんといてくれ』って要請があって、翌日から3ヶ月間閉めたんですけど、再開後、今度は『横との距離を空けて、50%しか入れたらダメ』って言われたんですよね。それで席を1つずつ空けて座れないように紐で留めて。だから55人くらい入ったらそれで上限なんですけど、そもそも55人も来ない。

あげくにいわれのない報道によって風評被害を受けてしまって、その報道が出た瞬間にまためっちゃ減りました。

おかげでお昼の部で20人とか10人とか…。開けてええんかなって思うくらい。本当に参りました。キツかったですね。」

劇団さんもなかなか厳しかったんじゃないでしょうか?

渡邊さん「そうですね。舞台で仕事させてあげられないのが本当に辛かったですね。うちと一緒でここの収入だけなんでね。」

聞けば休業補償も最初の3ヶ月だけだったとか。かなり厳しかったに違いありません。今残っているのが奇跡とも言えます。大衆演劇の灯が消えなくてよかったと思いました。

渡邊さんが思う新開地と大衆演劇のこれから

震災後の新開地には、「神戸アートビレッジセンター」や「喜楽館」などが表現や演劇、演芸の場として町並みに加わりました。

新開地で育ち暮らしてきた渡邊さんに、この街に対する思いをうかがいました。

渡邊さん「僕が子供のときはもっと怖かったんですよ。もっと汚かったですし。もうそのへんで寝とう(寝てる)し、競艇の場外発売場のところなんかは、地べたに座って酒飲んでて店の前にもおったり、喧嘩もしたりとか…。

新開地って『汚い』『怖い』って言われてたんで、女性なんかは特に怖がって。うちに初めて来た人でもおっしゃるんです、『来るのに勇気要る』って。『ひとりでよう来えへん』と。

場所は違えど同じ兵庫区で育った安藤編集長も、昔の新開地には思い入れがあるようで…。

安藤「僕も隣の校区なのでよくわかります、新開地は。」

渡邊さん「でも、最近はちょっときれいにはなってきたんで…」

安藤「それってどう思います?街並みがきれいになっていくじゃないですか?昔の風景とはちょっと違ってくる、そのことに関してはどう思われます?」

渡邊さん「子供連れの家族が歩いてたり、商店街で音楽フェスやってたりするじゃないですか。そういうので、今まで見なかった人たちが来てる感じはしますね。」

安藤「じゃあ、街の変化に関しては好意的に捉えている?」

渡邊さん「もちろん。いいなと思います。」

安藤「自分としてはというか、コアな新開地ファンとしては『ちょっときれいになりすぎて嫌』『味のある街やから、これを壊さんとってほしい』と思ってる人もいると思うんですけど、そこらへんはどう思われますか?」

渡邊さん「でも、めちゃくちゃ古いところってそのままで変わらないでしょ?それを好きな人もいらっしゃいますし、古いものの良さは良さでそのままでいいと思うんです。ただ新しい風も入ったほうがいいと思いますね。」

大衆演劇についてはどうですか?

渡邊さん「新開地の街がきれいになったことによって、今まで見なかった人たちが来てるので、そういう人たちに『大衆演劇ってまだあんねんな』って認知してもらって、お客さんで来てもらって贔屓の劇団を見つけて通うとか、劇団に入るとかしてもらえたらいいなと思いますね。

特殊な仕事なんで、劇団もうちもギリギリの従業員数でやってるので、お客さんもほしいですけど、まずはこういう世界に興味持って欲しいですね。

まだまだ認知されていないと思うので、映画館みたいに誰にでもわかる、とっつきやすい業界になったらいいなと。

出るのもそうやし、裏方の仕事もそうやし、やっぱりこういう世界って面白いっていうのをわかってもらえたらいいかなと思います。」

文化を引き継ぎ、新しい風を呼び込む。なかなか一筋縄ではいかないことですが、幾多の苦難を乗り越えてきた「新開地劇場」とそれを支え合ってきた劇団とお客さんが居れば、大丈夫なんじゃないでしょうか。

実はこの日、今年、中学を卒業する16歳の2名が、今「新開地劇場」で公演を行っている劇団に入団することが決まったとのことでした。

新しい風は確実にやってきています。進化を続ける「新開地」と「新開地劇場」「大衆演劇」のこれからが楽しみです。

三宮一貫樓 安藤からひとこと

今回のKOBEZINEいかがでしたか。
「新開地」「大衆演劇」ともすれば、近寄りがたい、ハードルが高いと思われがちなイメージが少し変わったのではないでしょうか?

何もかもの移り変わりが速くなっていく世の中で、失いつつあるものが両者にはまだまだ色濃く残っている。
そんなことを確認した取材になりました。

アナログ、人情、スローなテンポ。
それゆえに幅広いにわかではなく、コアなファンを両者が獲得できている理由ではないでしょうか?

クセの強いアジの味のある劇場、一度遊びにいらしてください。
ハマること間違いなしですよ!#新開地沼

■Information

  • 新開地劇場

    〒652-0811 兵庫県神戸市兵庫区新開地5-2-3
    アクセス: JR「神戸駅」より徒歩8分。
    神戸高速鉄道、神戸電鉄「新開地駅」より徒歩5分
    TEL:078-575-1458
    http://www.shinkaichigekijou.com/

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