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KOBEZINE

REPORT

2021.3.9

「神の戸」は北野にあった〜世界文化遺産登録をめざす神戸・北野が“多宗教共存都市”として世界に訴えること

Text_ikekayo / Edit_Tomio Ito / Photo_Makoto Aizawa (ADW Inc.)

あまり知られていませんが、神戸は世界的にも稀有な「多宗教共存都市」です。異人館が建ち並び、風光明媚な観光スポットとしても有名な北野・山本地区は、歩いて10分の圏内に10以上の宗教施設が密集しており、これは実はかなり珍しいことなのです。

そんな北野を世界文化遺産に登録しようという動きがあります。

「平和共栄の街、神戸北野・山本地区の世界文化遺産登録をめざす会」(以下、「世界文化遺産登録をめざす会」)は、さまざまな信仰を持ついろんな国籍の人々が北野に移り住み、1868年の開港以来今日まで共存し続けていることを世界に向けて発信すべく、世界文化遺産登録に向けて活動しています。

宗教によって互いに傷つけ合ってきた歴史をもつ人類において、北野はなぜこんなにも穏やかなのか?その秘密を探ります。

世界中のあらゆる宗教が仲良く共存する稀有な町

世界文化遺産登録をめざす会」は、文化プロデューサーの河内厚郎さんを代表者として、今回、座談会に参加いただいたネザーランズセンター(神戸市中央区山本通り)の理事である権藤君子さん、「北野・山本地区をまもり、そだてる会」の会長 浅木隆子さん、テヘラン出身のペルシャ文化伝道士ダリア・アナビアンさんはじめ多くの方々がメンバーとして活動しています。

元「関西文學」編集長の河内さんは、神戸山手女子短大で20年に渡って「神戸文化論」を講義されるなど、長年、「国際宗教都市『神戸』」の魅力を発信して来られた方で、この活動の立案者です。今回の座談会に先立ってインタビューにも応じていただき、神戸・北野に関する情報も数多く提供いただきました。

河内厚郎さん

また、今回は、同地域の歴史ある神社「北野天満神社」の宮司、佐藤典久宮司にも参加いただきました。

権藤君子さん

浅木隆子さん

ダリア・アナビアンさん

佐藤典久宮司

2018年に設立した「世界文化遺産登録をめざす会」は、現在登録申請のための準備を進めています。

ユネスコの関係者いわく、世界文化遺産に登録されればその地は大きな観光資源となるため、世界中の多くの都市から大量の申請が届くのだとか。

そのため「世界的に見ても価値があるか」という非常に高いハードルがあります。そんな話を耳にした権藤さんは「だからこそ北野はいけるんじゃないか」と思ったと言います。

権藤さん「多宗教が共存する北野は、地元に住んでらっしゃる方々は当たり前と思っていますが、いろんな信仰を持つ人々が争いもせず長いあいだ共存するなんて、そんなユートピアみたいなこと実現している地域は世界のどこを見てもないですから」

過去の歴史を見ても、そして現代においても、戦争やテロや人々の分断には宗教が関係していることが多いのは私たちも十分承知しているところ。多宗教が同じ地域に共存している、それ自体が非常に価値があるというのは、改めてお聞きすれば納得できます。

そんな北野の価値を証明すべく、資料を取り揃えて神戸市に働きかけようと活動しているのが「世界文化遺産登録をめざす会」です。

旧居留地についての資料や地籍図などの歴史資料から、北野地区にどのくらいの外国人がいたのか、またはどれくらいの外国企業があったのかなど、歴史上の事実から北野がいかに多様な人々を受け入れてきたのかを証明しようとしています。

権藤さん「神戸市には莫大な資料が残っています。それらをもとに、年表を作る、地図を作る、それに今だったらまだ昔のエピソードを知ってる方がご存命なので、そういう方たちからの聞き書きからはじめていこうと。申請にはかなり大量の資料が必要になるようだから、時間も人手も必要。神戸市だけでなく、兵庫県からの協力も必要なので、それを得ることが第一歩ですね」

北野が“ユートピア”になった理由

そもそも北野はなぜこんなにもいろんな国の文化が混じり合う街になったのでしょうか?

浅木さん「神戸は歴史上、「雑居地」とも言われますが、これは世界的に見ても神戸だけのもの。1868年に神戸港が開港され外国人が入ってきた際、本来は港に住んで、仕事も暮らしも全部そこでやっていただこうという計画でした。ところが、そのとき港ではまだそういう環境を整備できていなかったので、明治政府が北野へ居住できる地域を広げたんです。そこでできたのがこの「雑居地」。北野に外国人が多いのは明治政府の方針があったからなんです。」

北野地区の高台にある北野天満神社からの景色。今でこそビル群で視界は遮られますが、当時はここから港が見渡せ、貿易商は自分の船が入港するのを見て確認することができました。その後、トアロードの坂を下って港に向かっても間に合ったそうです。

北野には、かつて海外からの貿易商などが住んだ「異人館」が現在も建ち並び、異国情緒あふれる街となっています。その多くは今は住居としてではなく観光施設として一般公開されていますが、どれもとても美しく、まったく古さを感じさせません。

1977年にNHKで放映されたドラマ「風見鶏」で一躍有名になったのがこの「風見鶏の館」の愛称で知られるドイツ人貿易商のゴットフリート・トーマス氏の住宅。このドラマを機に、北野は観光地へと変わっていきます。

かつてアメリカ総領事ハンター・シャープ氏の住居だった、「萌黄の館」と呼ばれる邸宅。1980年には重要文化財に認定されました。

また、このような洋館だけでなく、1971年に日本ではじめてユダヤ教会ができたのも、ここ北野なのだそうです。

ダリアさん「私は母がイラン人で父はイスラエル人の、ユダヤ教徒です。1972年に来日しました。住むのは東京でも良かったのですが、神戸を選んだのはユダヤ教会があって、コミュニティがあり、そのコミュニティがとても和やかだったから。それは今でもそうです。」

神戸のユダヤ教会では、ラビ(ユダヤ教の指導者)がとてもオープンで、ベルを鳴らせばユダヤ教徒でなくても気軽に中に入れてくれるそうです。しかしこれは、厳粛なユダヤ教においてはとてもめずらしいことなのです。

ユダヤ教だけでなく、キリスト教、イスラム教、ジャイナ教に至るまで、北野では町のあちこちにあらゆる宗教施設を見つけることができます。

神戸ムスリムモスク。昭和10年に建てられた日本初のイスラム教礼拝堂。

神戸バプテスト教会。1950年8月4日に米国南部バプテスト連盟よりR.C.シェラー宣教師一家が神戸に来たことによって始まりました。

北野坂を登りきったところにあるのが、今回ご登場いただいている佐藤氏が宮司を務める北野天満神社。1180年に平清盛が建立し、北野の地名の発祥となった由緒ある神社です。

そんな神戸の多様さを象徴するイベントが「北野国際まつり」です。

1981年から開催され続けている北野国際まつりは、北野天満神社を会場とし、あらゆる宗教の人々が集い、自由に祈り、食べ、交流するお祭りです。

1995年の阪神淡路大震災など過去には大きな苦境も経験していますが、「世界宗教の相互理解」と「国際交流」というコンセプトのもと、現在まで続いています。

佐藤宮司「神社神道はバイブルがあるとかではなくて、日本人が作り上げてきた土着信仰なんです。一神教ではなく多神教で、いろんな神様がいてしかりという考え方。それで、たまたまこの北野にはいろんな宗教、民族の方がいらっしゃるので、じゃあ神社で国際交流しませんかと、先代の宮司である私の父が地元の方々と一緒にやったのがはじまりです。神社だからこそ、こういう祭りができたのかもしれませんね。」

当初は、保守的な神社界において批判もあったそうですが、結果的には世界平和に寄与したと、神社界から表彰もされました。

浅木さん「お父様の宮司さんは本当に先駆者ですよ。ちょっと変わってらっしゃいましたけど(笑)。でも、なんでも受け入れられた方でしたね。」

北野国際まつりは、世界各国の各宗教それぞれの祈りの方法で世界平和に祈りを捧げる「ピースセレモニー」から始まります。ステージではパフォーマンスがあったり、フリーマーケットや飲食ブースなどで終日賑わいます。

昨年は新型コロナウイルスの影響で中止を余儀なくされましたが、40年目という節目の今年こそはと宮司の佐藤さんも思いを新たにしているようです。

佐藤宮司「時代の流れで変わってきたこともありますが、ピースセレモニーだけは変わらず続けています。草の根的なものですけれども、続けることに意味があると思います。北野でこれだけのことをしていると、発信する価値があると思いますから。」

このままの北野の空気こそが価値

お正月用の餅をつく日本人の家の隣で、キリスト教徒がクリスマスケーキを焼く。はたまた、となりのイスラム教の一家ではラマダンで断食をしている。

そんな風に、人々は互いに阻害するのではなく興味を持ち、とても寛容な心で、お互いの居場所を尊重してきたのが、北野のなりたちです。

浅木さん「不思議なことに、あらゆる文化が入り混じっていることに誰一人抵抗がないんですね。そういう性格を持っているのが神戸人なんです。
宗教的な行為も「あれはあの人らの宗教やねんて」って受け入れてるんです。
どんな料理が出てきても、何人でも、何宗でも素直に受け入れるのが神戸。
「神の戸」=神戸は、神様が戸をひらけたところ。どなたでもウエルカムですよ。」

いい意味で、誰もなにも特別扱いされない北野地区。「神戸人の素の暮らし」そのものが世界文化遺産級の価値なのだと思うと、とても尊いことに感じます。

まだまだ申請・登録にはハードルがありますが、いつか世界文化遺産になったあかつきには、みなさんどんなことを目指されているのでしょう?

ダリアさん「きっとこの先、無人運転の車も開発されるじゃないですか。北野といえば長い坂道が美しいんですが、かなりキツイんですよね、上まで上がるの。
だから将来、もっとちっちゃい無人の乗り物ができて、それで坂道を登れたら楽しいと思うんです。そうすれば町がメリーゴーラウンドみたいでいいですよね。」

北野の坂を上から見下ろすとこんなかんじ。とてもきれいですが、歩いて登るのはたしかに少しきついです…。

斎藤宮司「今、北野ではいろんなところで宗教者同士がつながったり、対話したり、いろんな動きがはじまってる印象です。
でも、それって普通は喧嘩が起きるレベルだと言う人もいる。同じテーブルでいろんな宗教の人がふつうに話していること自体が奇跡だと。
ストイックな宗教観は日本人にはわかりにくい感覚かもしれませんが、なにか特別なことではなく、仲良く自然にいるというこの環境を大事にしたいですね。」

権藤さん「河内先生は、『明治以前の神戸は兵庫の街が中心だった。そこには異文化に寛容で国際性のある平清盛以来の歴史があった。それを新しく発展させる形で、北野はもっとも神戸らしい街区となりました』とおっしゃっています。
私は、それは何も持っていない人が開港した神戸で暮らして、みんなが豊かになることができたからだと思います。
今は世界中で紛争がすごく多い。その犠牲者が、次の戦争のきっかけになることもある。そういったことを繰り返さないためにも、この「神戸モデル」ともいうべきスタイルを、世界遺産といっしょに発信できたらいいなと思います。
何もないところに集まってもその人たちがお互いを認め合って、力を合わせれば自分たちが新たなものを築くことができるよと。
むしろそれには、宗教とか民族とかが違っているほうがいろんな強みがあるかもしれない。神戸北野坂に観光に来る方には、そういう歴史を知って、この寛容な優しい神戸の空気を味わってくださればいいなと思います。」

ダリアさんによれば、ヘブライ語で「教会」は「人が集まる場所」という意味だそうです。その言葉どおりに発展してきたのが、この神戸・北野。

強いインパクトはなくても、おおらかな「なんかいい感じ」こそが、北野の魅力なのです。「多様性」が叫ばれる昨今、そのお手本はこの地にあるのかもしれません。

三宮一貫樓 安藤からひとこと

何やら北野地区が世界遺産登録を目指しているらしいと風の噂で聞いた時には、「また大風呂敷を…」と思いつつも凄く興味を惹かれ、個人レベルでニュースを調べたり、関係者の方にお話を聞くと、なるほど!と膝を打ちました。そしてその思いは今回の取材でより深い部分で肚落ちした次第です。

「世界平和の達成に必要なことは?」このマクロな命題に対して明確な答えを持っている人は多くないと思います。もし今の自分にその問いかけがなされたとしたら「神戸に来て、北野に暮らせば見つけられる」と答えるでしょう。

今後も「世界文化遺産登録をめざす会」の活動を支持、応援したいと思います。

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