コーポレートサイトへ

KOBEZINE

REPORT

2026.7.3

効率と伝統を両立させ、玉子焼きを通じて世界中を笑顔に〜神戸の老舗・山田製玉部 三代目 山田勝宏さん

Text&Edit_伊藤 富雄(カフーツ)  / Photo_服部健太郎

神戸の街なかを車で走っていると、白いボディに青いラインの入った一台のトラックとすれ違うことがあります。側面には「すし用厚焼」「(株)山田製玉部」の文字。地元では見覚えのある人も多いはずです。このトラックの主が、昭和27年(1952年)に神戸で創業した玉子焼き・厚焼きメーカー、株式会社山田製玉部です。

お寿司屋さんの厚焼き玉子、おせちの伊達巻、ちらし寿司に乗る錦糸玉子。県内外のホテルや料亭、お寿司屋さんの食卓を、表には名前を出さないまま長く支えてきた会社が、ここ数年、アイドルやパン屋やカフェと次々にコラボし、二万人を集めるお祭りを仕掛け、SNSで一気に知名度を上げました。何が起きているのか。三代目の山田勝宏さんに、KOBEZINE主宰で三宮一貫樓・常務の安藤が話を聞きました。

聞いていてまず浮かび上がってくるのは、玉子焼きの話そのものよりも、それを焼き、売り、人とつないでいく山田さんという人の輪郭です。家業に戻り、「おもろい」を原動力に会社を動かしてきた三代目の仕事の仕方を、たっぷり紹介します。

山田勝宏(やまだ・かつひろ)
株式会社山田製玉部 代表取締役社長

昭和27年(1952年)創業、神戸の玉子焼き・厚焼きメーカーの三代目。湊川神社の西で、寿司や会席に欠かせない厚焼玉子・だし巻き玉子づくりを受け継ぐ。2021年7月から現職。近年はBtoCや異業種コラボにも踏み出し、「玉子焼きを通して世界中を笑顔に」を掲げる。

京都の名店から枝分かれした神戸の玉子焼き

対談の前に、会社の成り立ちと、玉子焼きづくりの現場を少しだけ覗いておきます。

山田製玉部の歴史は、神戸の小さな工場から始まりました。そのルーツは京都にあります。創業者である山田さんの祖父は富山の出身で、京都の「吉田喜(よしだき)」という玉子焼きの会社で修行を積みました。

「実は厚焼きの分野で、初代と呼ばれる人の大半が、この吉田喜で修業しているんです」と山田さんは言います。各地に独立して散らばっていった職人たちの、いわば本家筋にあたる会社。山田さんの祖父も、ここで神戸支店長を務めたのち、独立しました。

その吉田喜が昨年、事業承継されて新たに「京吉田喜」となりました。この春には、旧・吉田喜にゆかりのあるメンバーが京都に集まり、山田さんも呼ばれました。一つの源流から枝分かれした人たちが、こうして今もつながっている。山田製玉部の玉子焼きの背後には、そんな系譜があります。

創業当初は、お寿司屋さんの補助として、人の手でひとつずつ玉子焼きを焼き、納めていました。鮮度、温度、微妙な火加減、そして厳格な品質管理。会社と工場が新しくなるにつれて機械の導入は増えましたが、いまもなお肝心なのは職人の感覚と技です。神戸本社には、職人歴五十年を超えるベテランもいます。

効率と伝統が同居する工場

工場を案内されて、安藤がまず口にしたのは、その絶妙なバランスでした。

安藤「効率と伝統のバランスが、すごく絶妙な工場ですね。完璧なオートメーションではなくて、ちゃんと人の手も残っている。そこを疎かにしないのが、こだわりなのかなと」

その言葉に、山田さんはハッとした表情を見せます。

山田さん「実は、そこを求められていることに、最近気づいたんです。僕、どん臭いんですけど、取材やご案内で、お客様が良さを話してくれて、『あ、ここが僕らのええところなんや』と、教えてもらって初めて気づくことが多くて」

オートメーションが悪いわけでも、良いわけでもない。山田さんの考えの根っこにあるのは、手焼きから始まったという原点です。

山田さん「うちのお客様は、町のお寿司屋さんが根本にあるんです。その職人さんたちに認めてもらえる商品のクオリティが、山田製玉部のクオリティ。それをいかに衛生的に作るかが、僕らの考え方です。最初から大量に作ろう、という発想がないんです」

たとえば伊達巻。蒲鉾屋が蒸し焼きで仕上げるのに対し、山田製玉部は上下からの直火で一気に中まで焼き上げます。同じ名前の食べものでも、食感がまるで違う。一本一本、長年の感覚で職人が巻いていく工程は、いまもSNSで人気のコンテンツになっています。

その一方で、現場には最新の機械も並びます。副工場長の石原さんが見せてくれたのは、トレイを使わない「ノンガス真空包装機」でした。分厚いフィルムを型で成形し、玉子を乗せ、空気を抜いて窒素を充填する。残存酸素を1%未満まで下げることで酸化を防ぎ、より焼き立ての自然な状態で賞味期限を延ばす仕組みです。

賞味期限は、商品によって変わります。窒素充填のものが約14日。真空包装してボイル殺菌し、冷ましたものが約45日。それをさらに冷凍したものは約1年。お客様が味と日持ちのどちらを重視するかで選んでもらう、という考え方です。

山田さん「味を重視されるなら窒素充填、その中間なら真空、ロングライフ品をということなら冷凍。選んでいただく形にしています」

この包装機、2019年末の導入で「フェラーリが買えるくらい」の金額でした。ものづくり補助金にも挑戦しましたが、五人の審査のうち四人の賛同にとどまり、不採択。それでも山田さんは導入を決めました。

山田さん「でも、これがあったおかげで、コロナ禍でまとめて生産ができたし、計画的な生産もできるようになった。いま振り返ると、あのタイミングで入れて本当によかったと思っています」

危機の少し前に打った手が、いざという時に効いてくる。この感覚は、このあとの話にも何度も顔を出します。

覚えてもらえる「製玉部(せいぎょくぶ)」という名前

さて、ここからが対談の本編です。まずは、誰もが一度は引っかかる、この社名の話から始まりました。

安藤「それにしても、『山田製玉部』というお名前は、とても印象に残りますよね。名刺交換した時に『部活ですか?』って聞かれませんか?」

山田さん「絶対に聞かれます(笑)。昔は仕出し屋さんや料亭の中に『〇〇鮮魚部』とか『〇〇精肉部』といった部門が分かれてあり、それに倣って外部からの納入業者も『〇〇部』という名称をよく使っていたんですが、次第に『〇〇フーズ』などに変わっていきました。でも、うちの先代は『玉子を扱うプロフェッショナルな部署』という意味を込めて、あえてこの『製玉部』という名前を残すことにこだわったんです。今となっては、逆に面白がってもらえて、覚えてもらいやすいので良かったと思っています」

時代の流れの中で、多くの会社が横文字へ切り替えていく。その中で、あえて「部」を残す。先代のこの判断が、SNSの時代になって、思わぬ形で効いてきます。一度聞いたら忘れない名前は、それだけで強い。三代目は、いまになって先代のこだわりに助けられています。

広告の世界から玉子焼きへ

まず驚かされるのは、山田さんが家業を「継がされた」人ではない、ということです。

山田さん「うちは『家業を継がんでええ』という家なんです。むしろ『自分が好きな仕事をしたら良い』『35歳までに物にならんかったら帰ってこい』という家でした」

三人兄弟の長男。妹さんはイラストレーターで、雑誌の挿絵や子供服のテキスタイルなどのデザインを手がけています。また弟さんはさる放送局で、大型イベントを担当しています。山田さんは「だから、社会に適応してなかったのは僕だけなんです」と笑います。

大学を出た山田さんが最初に勤めたのは、フリーペーパーやポスターを作る広告代理店でした。憧れていたのは、コピーライターの仕事です。

山田さん「企業の偉い大人たちが集まる場に、パッと来て、何文字かを考える。それだけでお金をもらえる。すごいなあ、と思っていたんです」

ところが、いざライターの仕事をさせてもらうと、当時の編集長から「全然才能がない」と告げられます。「お前が書いているのは、これまで見たものを混ぜて腐らせただけ」とまで言われたといいます。代わりに「営業はできるから」と専属の制作担当をつけられ、ひたすら営業に回ることになりました。その営業の現場で、山田さんはあることに気づきます。

山田さん「広告って、2回評価されないとあかんのです。最初の打ち合わせで『この広告、いいね』と言ってもらえる。でも、その一ヶ月後に『お客さんが来た』『来なかった』と、もう一度評価される。作った時はすごく良かったのに、出して一ヶ月したら『全然来なかった』と、最後の最後で否定される。それが、すごく自分には合わなかったんです」

その時頭をよぎったのが、家業でした。玉子焼きは、めちゃめちゃシンプルです。

山田さん「お寿司屋さんの職人さんに玉子を渡して、食べてもらう。『うまい』『まずい』が、その場ではっきり決まる。それが、自分にはすごく合っていた。これでいこうと思った、一番のきっかけだったと思います」

家業を意識する決定打は、旅先での一皿でもありました。学生時代からバックパッカーだった山田さんは、退職後、アメリカやメキシコを旅していました。ニューヨークの日本料理屋に入ると、五つ星をうたう店で、職人がゴム手袋をはめて寿司を握っている。しかも日本食の店なのに、握っているのは日本人ではありませんでした。人気店だと聞いて入ったのに、出てきた寿司はまるで美味しくない。

山田さん「海外で『美味しい日本食』ともてはやされていても、実際には本当の日本食と、こんなに違うんや」

そうこうするうちに旅費が尽き、実家に「10万円送ってほしい」と電話をかけました。すると、ちょうど工場で怪我人が出て人手が足りないから、入金する代わりに手伝いに来い、と言われます。これが、家業へ戻るきっかけになりました。

守破離で覚えた修業とコロナ禍での事業承継

家業に入ったのは2001年の末。祖父からは、明快な順番を示されました。

山田さん「まずは製造を覚えて、一番にならなあかん。次に、営業でも一番にならなあかん、と」

製造を覚え、作ったものを自ら売り込みに行く。ところが二十代の山田さんは、この仕事の凄みが、まだ分かっていませんでした。

山田さん「同じものを、いつも同じところに届ける。それがどれだけ凄いことか、当時は全く分かっていなくて。この仕事が自分に合っているのか?、めちゃめちゃ迷っていました」

その迷いの中から、「こういうことをしたい」「ああいうことをしたい」という思いが、少しずつ芽生えていきます。教えられたことを100%覚え、部門ごとに一番を目指す。その先で「じゃあ、俺やったらどうするかな」と考え出したのが、三十代の中盤あたりからでした。守り、破り、離れる。安藤が「守破離の順番を、綺麗にトレースしていますね」と言うと、山田さんは深くうなずきました。

修業時代は、実に長いものでした。2015年から五年をかけて、内と外の事業承継を進めます。工場長と常務を兼任しながら組織を作り直し、工場長、課長、リーダーといった役割を整えていきました。2020年に代表を交代する予定でしたが、コロナがそれを止めます。

山田さん「2020年の4月、玉子焼きの売上が半分くらいに落ちて、どん底でした。株主総会で声をかけていただいたんですけど、『一年、時間をください』とお願いしたんです。その間に建て直したいから、認めてもらえるなら2021年にもう一度選んでください、と」

そして2021年、改めて選任され、代表に就任します。「選んでいただいて」という言葉づかいに、この会社の決め方がよく表れています。

コロナがもたらした時間が生んだ200のアンケート

代表に就いた山田さんが、コロナ禍で最初にやったこと。それはコロナで生まれた空き時間を会社の財産に変えることでした。

山田さん「玉子焼きの売上が半分になって、正直、多くの時間ができたんです。それで、パート従業員も含めた全従業員に、各部署・各立場で『何をしたらええか』を、好きなだけ書いてくれと、アンケートをとりました」

集まった回答は、およそ200項目。山田さんは、こう宣言します。

山田さん「小さいことも、大きいことも含めて、これを一年以内に必ず一度は議題に上げる。一個でも多く形にしよう、と」

その中から生まれたのが、直接販売の通販であり、ふるさと納税の返礼品でした。一般のお客様に向けてブランディングするなら、SNSは欠かせない。知り合いのSNSコンサルタントに電話をかけ、ゼロからアカウントを立ち上げます。フォロワーが1000人、2000人、3000人と増えれば、通販も伸びるはずだ。そう思っていました。ところが、これが伸びない。

山田さん「2000人にもなったら、めちゃめちゃ注文が来るんやろうな、と思っていたら、全然なくて」

伸びたのは、別のところでした。フォロワーが5000人、8000人と増えるにつれ、一般消費者ではなく、その一般客を相手にする企業から声がかかり始めたのです。イスズベーカリーさんや丸福珈琲店さんといった馴染み深いブランドとの、取引やコラボの企画でした。

BtoCを狙ったらBのお客様が増えた

この変化の意味を、山田さんは取引先の料理長から教えられて、初めて理解したと言います。

山田さん「BtoCを狙ったのに、結果はBのお客様がガーンと増えたんです。だから、うちは『BtoCtoB』と呼んでいます」

なぜそうなるのか。ホテルも、ベーカリーも、カフェも、その先には必ずお客様がいる。そのお客様に出すのなら、名の知れたところと組むほうがいい。

山田さん「以前は料理長が『いい』と言ってくれたらいい、と思っていました。でも、その料理長が最後に提供する相手は、一般のお客様なんです。そこで自信を持って出してもらえる。それが、僕らの一番の強みなんやと気づきました」

メディアやインフルエンサーが飲食店やホテルを取り上げる時代になり、取引先から「お前のとこ、来てたやろ」と言われるようにもなりました。SNSをやっていなかったら、いまの山田製玉部はない。山田さんはそう言い切ります。

ここでモノを言うのが、山田さんの「おもろい」を優先する姿勢です。アンケートを形にするにあたって、社内にこう伝えました。

山田さん「今は売上とか費用対効果は、一切言わへん。みんなが『おもろい』と思うことに、どんどんチャレンジしよう」

コロナで売上が下がるのは当たり前。むしろ目線を下げず、上げていく。「山田製玉部、なんかおもろいことやってる」と見てもらって、プラスのきっかけを作るのが自分たちの仕事ではないか。そう社内に伝えました。イスズベーカリーさんとのコラボは、同じ高校のテニス部で、山田さんの次にキャプテンを務めた後輩との再会から始まりました。連絡すると、「そろそろ連絡あると思ってました」と返ってきたといいます。

軽自動車一台分でやりきった「#厚フェス」

「おもろい」を優先する姿勢が、最も大きな形になったのが、2023年の「山田製玉部71st ATSUYAKI FES! #厚フェス」です。本来は創業70年の節目に開きたかったお祭りが、コロナで延期になっていました。

着想は、コロナが明けつつあった2022年夏頃の湊川神社の盆踊りにありました。

山田さん「盆踊りに行ったら、今まで見たことないくらいの人が境内に集まっていて。『みんな我慢してたんや』と思いました。年配の人も若い人も、男女関係なく集まっているのを見た時に、お祭りで還元したいと思ったんです」

ところが、いざ動き出すと、メリケンパークやハーバーランドなど候補地の見積もりは、どれも数千万円。誰でも参加できる大きなお祭りにしたい山田さんは、一度はあきらめかけます。

そこで救いになったのが、大丸のイベントで知り合ったラジオ関西の担当者でした。ちょうど同じ創業71周年というご縁から、「ラジオ関西まつり」との共催という道が開けます。設備や人員も共有できる。

山田さん「演者もDJもアイドルもバンドも、全部、僕らの知り合いで固めました。物販で出てもらったのも、普段から仲良くしているところ。この顔ぶれで駄目なら、もう自分には無理だと思えるくらい、信頼できるメンバーだったんです」

出店者の出店料は、すべて無料にしました。

山田さん「もし雨で流れたら、彼らに損をさせてしまう。晴れるか雨か分からんし、もしかしたら数百人しか来ないかもしれへん。それでも一年以上前からオッケーしてくれたメンバーやから、売れた分だけ全部持って帰って、と」

蓋を開ければ、当日は快晴。来場者数は二万人を超えました。たくさんの応援・ご協賛もあり最初は数千万円だった見積もりが、最後は「中古の軽自動車くらい」の予算でやりきった計算です。

山田さん「音楽に興味のない人も、食べものに興味のない人も、何かのきっかけで足を運んでくれた。その人たちの思い出になれば、大成功やと思いました。いまも『アツフェス行ったよ』と声をかけてもらうと、やってよかったと感じます」

毎年やるのか、と問われると、答えは明快でした。「あれ、毎年やるのは、めちゃめちゃしんどいんで」。節目ごとに、力を込めてやりきる。それが山田さん流のお祭りとの付き合い方です。

値上げではなく適正価格に戻す

コロナを越えた先に待っていたのが、エッグショックと物価高でした。「こんなに試練を受けなあかんのかな、と思いました」と山田さんは苦笑します。卵も人件費もガソリン代も上がる。最古参の職人に聞いても、これほど材料費が上がったことはない、という状況でした。

ここでの山田さんの判断は、はっきりしていました。

山田さん「以前は、大手さんが値上げするまで我慢する、大手が一割上げたら、うちは8%に抑えよう、という感じでした。でも、それはもうやめました。僕らが上げたい時に上げて、それを理解してもらえるよう日々努力するのが、僕らの仕事やと思っています」

ただし、それは「調子に乗って上げる」という意味ではありません。

山田さん「元々、卵が安すぎたんです。それに付随する加工品も安価だった。山田製玉部のクオリティを維持して、同じようにお客様に届けるための費用です。値上げというより、適正価格に戻っている、というイメージです」

この感覚は、聞き手である安藤の豚饅づくりにも通じます。マクドナルドや吉野家に行く人は、単にハンバーガーや牛丼を食べに行くのではなく、「マクドナルドのハンバーガー」「吉野家の牛丼」を食べに来ている。

同じように、自分たちの店には「三宮一貫樓の豚饅」を食べに来てくれている。だから自信を持って上げられる。山田さんの話を聞いて、安藤が「値上げというより、適正価格に戻したということですよね」と言ったところ、山田さんも「そうです」と頷いていました。

ちなみに山田さんには、もう一つの顔があります。祖父が始めた不動産業、歩総業株式会社です。

山田さん「祖父は富山から出てきて、玉子で儲けたお金で土地を買うのが、モチベーションやったらしくて。『地図に名前を残す』のが夢やった、と聞きました」

家を出る時、祖父は「土地を買うなら、港の近くと神社の近くにしろ」と言われたそうです。神社が昔からあるということは、そこは天災が起きにくいはず。そして港は、これから発展するはず。七十年以上前の、その読みが、神戸という土地を選ばせました。「一歩ずつ進む」という思いを込めた社名にも、創業者の人となりが表れています。

「走れ」と言うなら自分も走れるように

話を聞いていると、山田さんの経営の軸がはっきり見えてくる場面があります。情報を、すべてオープンにする、という姿勢です。売上が半分に落ちたことも、得意先が廃業したことも、助成金がいくら入ったかも、山田さんはパート従業員まで含めて全部伝えています。

山田さん「コロナでたくさんの会社がダウンしていくのを見て、思ったんです。自分ひとりの判断で従業員とその家族を路頭に迷わせてしまう、会社が知らないうちに傾いていく。そんなことになるのは絶対に嫌やな、と感じて。だから、フルオープンにしようと」

その延長線上に、自分の立場へのこだわりのなさがあります。

山田さん「今はたまたま僕が代表をしていますけど、しがみつくのは違うと思っていて。僕より山田製玉部が好きで、結果を出せるメンバーがいれば、いつでも代わります。代わったら、また違うことを考えればいい」

仕事の振り方も独特です。「誰々さん、やって」とは言わない。「こういう仕事があるんやけど、興味ある人?」と募り、手を挙げた人がチームを組んでやる。評価はチームのもの、失敗したら自分が謝りに行けばいい。そうやって、社内が自走し始める。ここで山田さんが一番気をつけているのが、急ブレーキを踏まないことです。

山田さん「『走れ』と言っておいて、自分がびびって急ブレーキを踏んだら、『何やねん』となりますよね。だったら次に僕がやるべきは、そのスピードで運転できるように、自分が努力して乗りこなせるようになること。だから、走れと言いながら、走れる練習をしているんです」

意外なことに、山田さんは「諦めがめちゃめちゃ早い」と言います。

山田さん「なんとかしようとする前に、頭の中で一回リセットすることが多いんです。これはこれで、もうしゃあない。じゃあ次は、こっちの方向で進もう。そのほうが、自分に合っている気がして」

頭で考えるより、とりあえずやって、やりながら考える。その軽やかさが、二万人のお祭りも、SNSでの躍進も、すべての出発点になっています。安藤が「若い時に作って売って、を繰り返した時間に、思いが圧縮されて、いま爆発しているんですね」と言うと、山田さんは「ああ、そうかも」と笑いました。

玉子焼きを宇宙まで運ぶ

最後に、これからやりたいことを尋ねると、山田さんはまず「日々、すごく楽しいんです」と切り出しました。社外で多くの人に会い、「こういうことをしたい」とどんどん口にする。自分のいないところで誰かがそれを思い出してくれたら、ありがたい。声をかけてもらったら、ほぼ100%行く。

その楽しさを、従業員にも一人でも多く知ってほしい、というのが、いまの一番の目標だと言います。やろうと思ったことを形にするのが、めちゃくちゃ面白い。そう気づき始めたメンバーが、社内に増えてきている。

具体的な夢も、すでに動き出しています。一つは、機内食です。

山田さん「飛行機がすごく好きで。実は最近、夢が叶ったんです。山田製玉部のだし巻きを機内食に選んでいただきました」

採用されたのは、関西国際空港を発つ、ある航空会社のビジネスクラスの機内食です。また、神戸空港の出国ゲート内のゴールデンカップ神戸SORAを出店している日米珈琲さんでは、サンドイッチに玉子焼きを使ってもらっています。

そして、最終目標は宇宙だと言います。

山田さん「ロケットの中に入れたいんです。宇宙がすごく好きで。一個、空に近づきました。いつかロケットの機内食に山田製玉部の玉子焼きを、といつも思っているんです」

足元では、店頭での新しい売り方も仕込んでいます。だし巻き玉子に棒をつけて、その場で片手で食べられる「DASHIMAKI(だし巻き)」です。

山田さん「お家で綺麗に盛り付けて撮る写真は、投稿される数が少ないんです。でも、その場で片手で食べられるので、きっとたくさん投稿される。料理に興味のない若い世代も、五年、十年後にはお母さんになって、料理をしているかもしれない。だから、思い出の味にしたいんです」

人を巻き込む力は、採用にも表れています。先々月、事務スタッフを募集したところ、約80人ものエントリーがありました。山田さんが打ち出したキャッチコピーは「年間休日126」。

山田さん「今の若い世代は、給与や役職よりも、自分の時間の確保を大事にしている。そこに気づいて打ち出したら、こうなりました」

入社した頃、年間休日は104日でした。そこから増やすために、顧問の社労士や弁護士の先生との定例会で福利厚生を見直し、去年126日まで引き上げた。人手不足の予想を数年前から織り込んだ、地道な積み重ねの結果でした。

かつて裏口からこっそり納めていた玉子焼きが、いまや表の主役になっていく。その流れは、テレビにも届きました。山田製玉部の工場は、2026年7月3日(金)放送の読売テレビ「大阪ほんわかテレビ」(よる7時から)のコーナー「情報喫茶店」で紹介されました。

テーマは「衝撃!快感!何分でも見てられる!禁断の工場に潜入!」。薄く焼いた玉子を四回重ね、機械のリズムに職人が呼吸を合わせて仕上げていく、あのだし巻きの製造ラインが、見ていて気持ちのいい工場として映し出されました。地上波は関西二府四県のみですが、放送後1週間はTVerとytv My Do!で見られます。

玉子焼きという、その場で「うまい」が決まるシンプルな仕事を選び、迷いながらも家業に戻った三代目は、いま、その玉子焼きを宇宙まで運ぼうとしています。根っこにあるのは、いつも変わりません。

山田さん「玉子焼きを食べたことがある。あのトラックを見たことがある。神戸に住む方の思い出の、ほんの片隅にでも、僕らがいられたら、すごく嬉しいんです」

子どもの頃から玉子焼きで育ててもらった街に、玉子焼きで何かを還元したい。そして、山田製玉部の「玉子焼きを通じて世界中を笑顔に」という企業理念を胸に、山田さんは今日も「おもろい」ほうへ走り続けています。

三宮一貫樓 安藤からひとこと

今回のKOBEZINEいかがでしたか。
私どもと同じ白い、丸い食品を扱う会社つながりで勝手に同志と思っている山田製玉部さん。

自分のことを「おもろい」と言う人で「ほんまにおもろい」人を見たことがなかったのに、山田さんは「ほんまにおもろい」ことを沢山している人でした!

私も負けずに「おもろい」ことを発信していきたい!
そんな刺激をいただいた取材でした。

ちょっとずつ自分のこと「おもろいで」とまずは小声で呟いていこうと思います。

そして山田さんの玉子焼きが宇宙に行くことをこれからも応援していきます!

    この記事をシェアする

  • twitter
  • facebook
  • line

最新記事

PageTop